説経祭文 三荘太夫 十二 治郎詫言段 上

説経祭文

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

十二 治郎詫言(わびの)段 上

 

薩摩若太夫
千賀喜太夫・浜太夫
  枡太夫・春太夫・竹太夫・君太夫

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

治郎わびの段

薩摩若太夫直伝

 

さればにや、これは又
掛かる向こうの方よりも
物の哀れは、安寿姫
浜女郎らの情けにて
潮の勧進、受け給い
三荷の下職を勤められ
荷(にない)を肩に掛けられて
太夫を指して戻り来る
若君、それと、見るよりも
そのまま、そばへ走り行き
姉上様と、ばかりにて
先立つものは、涙なり
姫君、はっと驚いて
「これは、したり、
弟、そなたは、最早、 下職を勤め
姉が迎えに来てたもりしか
はあ、持つべきものは、兄弟」と
若君、聞いて
「申し姉上様
私は、あなたのお迎いに参りましたのではござりませぬ
最前、お別れ申し、 山路へ上り
山樵達の情けにて、 柴木の勧進を受けて
お主(しゅう)へ戻り
お主様のお褒めに預かり
『斯様な柴樵り名人に、 二荷や三荷は無益
褒美として、 明日より、

七荷の加増を申し付ける

十荷(じゅっか)ずつ
十荷の柴木のその内が
一把なりとも、足りざれば
これ、この鎌で、 我が首、掻き落とす』との
お主の仰せ
所詮、十荷の下職は勤まらぬ
すぐに、この場で、ご生害と 存じましたが
ま一度、姉上様に、御目に掛かり
この由を語り、お聞かせ申し
其後(そののち)、生害いたさんと
これまで、尋ね参りし」
と、聞くよりはっと、姉の姫
「さては、左様に候か
そも、自らも、浜辺にて
賤の女達の情けにて
潮の勧進貰いつつ
三荷の下職を勤めしが
太夫へ戻ってあるならば
そなたと供に、自らも
七荷の加増は、治定なり
それそれ、最前、浜路にて
賤の女達の噂を聞けば
三荘太夫、五人、子供のある中に
二男の次郎広次様は
情けも深き、御方とある
何はともあれ、お主へ戻り
その広次様に、お頼み申して
元の三荷に、お詫びを致してもらわん
叶えば良し
もしも、叶わぬ、その時は
そなたばかりは、殺しはせぬ
姉諸共、あの大海へ、身を投げて 底の水屑
何は、ともあれ、お主へ戻り
その、広次様をお頼み申さん そのうちは、
まあ、待ち給え」
と、ありければ
はっと答えて厨子王丸
「あなたの仰せに任せん」と
荷(にない)を中に寄せられて
後先(あとさき)、荷(にない)に、睦まじく
とある浜路の方よりも
太夫を指して戻らるる
程無く、太夫になりぬれば
荷(にない)を彼処(かしこ)へおろされて
兄弟打ち連れ、それよりも
二男の次郎広次の部屋をぞ指して急がるる
斯くて、部屋にもなりぬれば
両手をつかえ申し
「広次様、 我々、兄弟、二人の者
あなた様を、お見かけ申して
ひとつのお願いが御座ります
お聞き届けて下さりましょうや」
広継、聞いて

 


説経祭文 三荘太夫 十二 治郎詫言段 下

説経祭文

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

十二 治郎詫言(わびの)段 下

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・春太夫・竹太夫・君太夫

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

治郎わびの段

薩摩若太夫直伝

 

(「広継様
我々、兄弟、二人の者
あなた様を、お見かけ申して
ひとつのお願いが御座ります
お聞き届けて下さりましょうや」
広継、聞いて)

 

「改まった、兄弟
この広継に、願いとは、何事なり」
「はい、別の義では御座りませぬ
これなる弟、今朝(こんちょう)山路へ上り
三荷の柴木を樵って
お主様へ戻りましたとは申すれど
誠は、由良千軒の山樵達の情けの勧進を受けて
お主へ戻り、お主様のお褒めに預かり
褒美として、七荷の加増を仰せ付けられし」とある
「未だに下職に慣れませぬ我々兄弟
何卒、下職に慣れますまで
元の三荷にお詫びを為されてくださりませ」
次郎、聞いて
「これはしたり、兄弟
我が父上は、人とは違い
一旦、口外へ、仰せ出だされたこと
引くことのお嫌いなる気性
叶わぬ事とは思いども
せっかく、我を頼むとあらば
叶わぬ迄も、一通りは、願ごうて得させん
暫く、それに」
と、言いつつ立って
父の居間へと、急ぎ行く
「申し、父上様、広次、

あなたへ、ひとつのお願いがあって上がりましたが
何とお聞き届けてくださりましょうや」
太夫は聞いて
「改まったる、広次が願い
そりゃ、何事なる」
「いや、別の義では御座りませぬ
買い取りましたる兄弟
弟の童、今朝(こんちょう)、山路へ登り三荷の柴木を樵って戻り
あなた様のお褒めに預かり
明日(みょうにち)より褒美として
七荷の加増を、仰せ付けられしとある
未だ、下職に慣れませぬ兄弟
何卒、下職に慣れるまで
元の三荷に、侘びしてくれいと
我をもって、ひたすらの願い
未だ、下職に慣れませぬ兄弟
何卒、、下職に慣れますまで
元の三荷にお許しなされては、如何に候」
太夫は、聞いて
「黙れ、広次
この広宗(ひろむね)に生(む)まれ付いて
一旦、歯から外へ出した事
引くことが嫌い、叶わぬ事とは思いども
たまたま、その方が願い
まさか、無にもなるまい
下職に慣れるまで
元の三荷に許してつかわす
去りながら、山浜ともに
三荷の下職の其の内が
ちっとなりとも欠けるなら
兄弟は、言うに及ばぬ
親子とて、容赦は、無い
その方とても、きっと
糾明を申し付けるが、それが、合点か」
「心得ましてござります
しからば、お休み、遊ばせ」と
父の一間を、立ち出でて
その身は、部屋へ戻られて
「喜べ、兄弟
よもや叶うまいと思いしが
今日は、父上様も
よっぽど、虫の居所が良かったと見えて
元の三荷にお許しなさるるとある
明日(みょうにち)より、高く(※声を)は言えぬことながら
例え、勧進受けてなと、山浜ともに
三荷ずつ、出精(しゅっせい)いたして、勤めよ」と、

情けの言葉にご兄弟
只、手を合わせて伏し拝み
「それが、誠にましますや
神か仏か知らねども
お情け深き、広次様
ご恩の程は忘れじ」と、
喜び勇み、ご兄弟は、良きにお礼を述べられて
東の小部屋へ戻らるる




説経祭文 三荘太夫 十三 三郎柴触段


説経祭文

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

十三 三郎柴觸の段

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・春太夫・竹太夫・君太夫

三弦
京屋蝶二・粂七・市蔵・三亀

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

三郎柴触れの段

薩摩若太夫直伝

 

さればにや、これは又
掛かる折しも
強悪不敵の三郎は
始終の様子を立ち聞きし
こりゃ、聞き捨てにはなるまいと

父の一間に、走り行き
「申し、父上様
三郎、只今、あれにて、承れば
今日、童子(わっぱし)めが
山路より、樵って戻りし、あの柴木
ありゃ、由良千軒の山樵めらが
よってたかっての情けの勧進とある
我が家から出だす者が
山樵めらに柴木の勧進受けるなら
非人か、乞食(こつじき)
鉢(はっち)坊主か、ものもらい

取りも直さず
父上様が、其のお乞食(こじき)のお頭様
あなたの恥辱じゃ、ござりませぬか
それになんぞや
兄者(あにじゃ)人の願いにあればとて
元の三荷にお許しなされて使わされたる父上様の御所存
日頃と、相違致す
三郎、一円、合点(がってん)が参らぬ
この義、如何に」
 太夫、聞いて、はったと怒り
「その義にあらば、三郎
今宵、出し抜けに
由良千軒を、触れ流してこい
『明日(みょうにち)より
我が家から出だす兄弟に
山にて、柴の勧進と
又、浜にて、潮の勧進を
致す者のあるならば、当人は、曲事

向こう三軒両隣は、七貫文ずつ、科料を取る』
と、触れ流して来い」

「はあ、心得まして候」
と、父の一間を、立ち上がり
「どりゃ、どりゃ、触れて来ましょう」と
尻、ひっからげ、
手ぬぐい、取って、鉢巻きし
長押(なげし)に掛けたる錆び槍を
外して、小脇に掻い込んで
馬屋(むまや)を指してぞ、飛んで行く
なんなく馬屋になりぬれば
己が手慣れし栗毛馬
胴縄解いて、引き出だし
鞍、置く、暇も面倒と
しめかみ(締め銜(はみ)?)掴んでゆらりと乗り
とある馬屋を乗り出だし

 由良千軒へと飛んで行く
かくては、彼処(かしこ)になりぬれば
所々に馬(むま)を止め
「遠からん者は、音にも聞け
近くば寄って、目にも見よ
我を、誰(たれ)と思うらん
三荘太夫、若旦那、秘蔵息子
親孝行と呼ばれたる
三男三郎広玄(ひろはる)なり
明日(みょうにち)よりも
我が家より出だす二人(ふたり)の兄弟
山にて柴木の勧進と
又、浜にて、潮の勧進を、致す者あるならば
当人は曲事、

向こう三軒両隣、七貫文ずつ、

きっと科料をぶったくる」と
人の物とて遠慮無く
田地田畑(でんちでんぱた)踏み荒らし
由良千軒に村内(むらない)を
上から下まで、触れ回る
かの三郎が、勢いは
如何なる天魔、厄神(やくじん)も

畏れぬものこそなかりける
なんなく、我が家へ乗り戻し
馬は、馬屋へ乗り捨てて
息せき切って父の御前(みまえ)へ、駆け来たり
「申し、父上様、仰せに任せまして
由良千軒を、上から下まで
一軒も残らず、触れ流して参りましてござりますから
あれでは、明日(みょうにち)より、山浜ともに
勧進をいたす者とては
只の一人もござりますまい
山浜共に、勧進の無い時は
兄弟のやつらは、あたりまいだ(当たり前だ)

ちょっと、余計な仕事だが
おらが兄貴の甚六殿が
憂き目に遭うのも、心がら
こっちは、高見で見物してやろう
それが、おいらは、楽しみ」と
喜び勇む三郎は、物の邪見と、知られける

【はっちぼうず】 托鉢をしてまわる乞食坊主。鉢坊。はっちぼうず。鉢開き坊主。

曲事: 違法行為をした者を処罰すること。


説経祭文 三荘太夫 十四 二の柴刈段 上

説経祭文

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

十四 二ノ柴刈の段 上

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・歳太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

柴刈の段

薩摩若太夫直伝

 

さればにや、これは又
ものの哀れは、ご兄弟
三郎、触れしは、夢知らず
明日の下職が、大切と
互いに、その夜は、寝もやらず
うつらうつらと暮らせしが
早や、東雲の明け烏
互いに、臥所(ふしど)を出でられて
朝の粗飯をしたためて
姉は、荷(にない)を肩に掛け
弟も、道具を携えて
とある東の小部屋より
山路と浜路へ、急がるる
三の関屋も早や越えて
別れが辻になりぬれば
姉は荷(にない)を降ろされて
「これ、弟、昨夜からも言う通り
今日の三荷が勤まらぬ、その時は
情け深き、広次様の御身(おんみ)の御(ご)難儀
姉は、これより、浜路へ急ぎ
賤の女達の下るを待ち
潮の勧進を受けて、お主へ戻らん
其方(そなた)も山路へ登り
山樵達の登るを待ち
柴木の勧進を受けて
お主へ戻りやいのう、弟」
「はっぁ、左様ならば、姉上様
最早、お別れ、申すべし
これが別れか、姉上様」
「さらばに御座る、弟(おと)の若
ここで別れて、兄弟が
後(のち)、会う事とは知りながら
別れとならば、悲しや」と
互いに顔を見合やわせて
暫く、涙に暮れけるが
斯くても、果てじと、ご兄弟
ようよう心を取り直し
姉は荷(にない)を肩に掛け
さらばさらばと立ち上がり
浜路を指して急がるる
弟も道具を携えて
泣く泣く、山路へ登らるる
登る山路の道の辺は
七つ曲がりか、八峠の
嘶く(いななく)駒の沓掛や
千本松山、早、過ぎて
これも、山路に隠れ無き
休みヶ峠になりぬれば
その身は、木の根に腰を掛け
山樵達の来たるなら
柴木の勧進、受けばやと
麓の方を、ご覧じて
今、山樵が、来たるかと
待ち、憧れて、おわしける
それは、さて置き
由良千軒の山樵は
朝山、出がけに、誘いやい
我も我もと、打ち連れて
山路を指して、登り来る
休みヶ峠になりぬれば
若君、それと見るよりも
腰を屈(こご)めて、揉み手をし
「これは、これは山樵方(やまがつがた)、お早かりし」
と、出迎えば、山樵、聞いて
「これ、童(わっぱ)
そなたは、あの
今日も、昨日のように
これにて、柴木の勧進を
受きょうと、待ってであろうが
夜前(やぜん)、其方の主人
三男の三郎殿、由良千軒を、触れ流すには、
『明日より、我が家から出だす兄弟に
山にて柴木の勧進と
又、浜にて、潮の勧進を致す者のあるならば

 

(当人は、曲事、向こう三軒両隣は、科料を七貫文ずつ取る』と)

 


説経祭文 三荘太夫 十四 二の柴刈段 下


説経祭文

三荘太夫 
安寿姫・対王丸

 

十四 二ノ柴刈の段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・歳太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋蝶二・忠二・三亀・粂七

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

柴刈の段

薩摩若太夫直伝

 

(『明日より、我が家から出だす兄弟に
山にて柴木の勧進と
又、浜にて、潮の勧進を致す者のあるならば)

 

当人は、曲事、向こう三軒両隣は
科料を七貫文ずつ取る』と
厳しく、夜前(やぜん)、触れ、流せば
不憫ながらも、今日よりしては
柴木の勧進、なりませぬ
わしらが、勧進をせぬときは
定めし、そなたが、困るであろう
何と、皆の衆、例え、勧進はせずとも
せめて、柴木の樵り様(よう)でも
教えてやろうじゃあるまいか、皆々」
「おお、それそれ、そんならせめて
柴の樵りでも、教えてやりましょう」
「これ、見やしゃれ、

これ、こう、鎌を、右の手にしっかと持って
左の手で、柴木を押さえ
引く手を上げて
これ、この(※と)おりに樵るならば
二荷や三荷は、つい樵れる
習おうより、慣れろは、下種(げす)の業とやら
泣かずと、勢出して
柴木を樵ってみやしゃれ」と
言い捨て、皆々、打ち連れて
奧山、指して急ぎ行く
後にも残る若君は
山樵達に捨てられて
只、呆然と、おわせしが
先立つものは、涙なり
「はて、合点のゆかぬ
例え勧進受けてなりとも
三荷の下職を勤めたなら
お主の損にもなるまいに
如何なればとて、三郎殿
由良千軒を、触れ流す
思えば思えば、邪見のお主
今日の三荷が勤まらぬ、その時は
情けも深き、広次様の
御身の御難儀、是非無い事
山樵達の教えに任せ
我が手で柴木を樵らばや」と
泣く泣く、鎌を携えて
左で、柴木を押さえられ
ひと鎌、ふた鎌、樵られしが
習わぬ下職の事なれば
鎌、持つ手とても定まらず
木の根に鎌を切りかける
鎌は滑ると見えけるが
左の小指へ、切りかける
鎌投げ捨て、小指をしっかと押さえられ
「ちい、情け無い
山樵達の教えに任せ
せめては、我が手で
柴木を樵らんとなせば
習わぬ下職の悲しさは
柴木を樵らいで、この様に
左の指を切りかける
所詮、我が手で下職は、勤まらぬ

広次様への申し分け
これにて、生害いたさん」と
すでに、こうよとなしけるが
「いや、待てしばし
今、山樵の申すには
山浜共に勧進を留めるとあれば
姉上様も、今頃は
浜路の方に、御難儀、なされましまさん
何はともあれ、浜路へ急ぎ
姉上様にお目に掛かり
其の後、生害いたさん
さあらば、浜路へいそがん」と
綴れ(つづれ)を裂いて

小指を、しっかと結わえられ
下職の道具を携えて
浜路を指して、尋ね行く

 

 つづれ【綴れ】

破れた部分をつぎはぎした衣服。ぼろの衣服。襤褸(らんる)


説経祭文 三庄太夫 十五 汐汲の段


説経祭文

三庄太夫 
安寿姫

 

十五 汐汲みの段

  

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

京屋松五郎・粂七・蝶二・沢吉

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

汐汲みの段

若太夫直伝

 

さればにや、これは又
労しの姉の姫
ようだ(?)の浜になりぬれば
その身は、岩に腰を掛け
浜女郎の来たるなら
潮の勧進受けばやと
陸地(くがち)の方を打ち守り
今、賤の女が来たるかと
待ち憧れて、おわしける
かかる折しも、由良千軒の賤の女は
てんでに、荷(にない)を肩に掛け
浜路を指して下り来る
姫君、それと見るよりも
腰を、屈めて(こごめて)揉み手をし
「これは、これは、女郎達、 お早かりし」
と、出で迎えば、 皆々、聞いて
「これ、信夫殿
そなたは、あの、昨日の様に
これにて、潮の勧進を受きょうと、
これに、待ってであろうが
夜前、そなたの主人、三男の三郎殿
由良千軒を触れ流すには
『明日から、我が家より出だす二人(ふたり)の兄弟に
山にて、柴木の勧進と
又、浜にて、潮の勧進を
いたす者あるならば
当人は、曲事、 向こう三軒両隣は
七貫文ずつの科料を取る』
と、厳しく、夜前、触れ流せば
思いながらも、今日よりしては
潮の勧進は、なりませぬ
去りながら、わしらが、勧進をせぬ時は、
定めし、そなたが困るであろう
なんと、皆の衆、 例え勧進は、せずとも
せめて、潮の汲み様を教えてやろうじゃあるまいか」
皆々聞いて
「おお、それそれ
わしらが、勧進せぬ時は、 定めし、困るであろう
そんなら、潮の汲み様を、 教えて、やりましょう」
「あれ、見やしれい
今、来る波が、あれが男波
あの男波がぐっと引いて、 又、来る女波
あの、女波と男波の、 打ち間(うちま)を見て
これ、この折に、 荷(にない)を降ろして、 汲むならば
二荷や三荷は、つい汲める
習おうより、慣れろは、 賎(げす)の業(わざ)とやら
泣かずと、勢出して、 潮を汲んで見やしゃれ」と
言い捨てて、皆々賤の女は
てんでに潮を汲み上げて
我が家の方(かた)へと急ぎ行く
後にも残る姉の姫
浜女郎に捨てられて
只、呆然と居たりしが
先立つものは、涙なり
「はて、合点の行かぬ
例え、勧進受けてなりとも
三荷の下職を勤めたなら
お主の御損にもなるまいに
如何なればとて、 三郎殿
由良千軒を触れ流す
今日の三荷が勤まらぬその時は
情けも深き、広次様の
御身の御難儀、 是非無い事
賤の女達の教えに任せ
我が手で潮を汲まばや」
と、荷を肩に掛けられて
その身は、磯へ、降りけるが
習わぬ下職の悲しさは
女波、男波も弁えず
荷を降ろして汲まんとす
どっと打ち来る荒波に
桶もおおこ(御鉾)も、巻き取られ

命からがら、逃げ上がり
余りの事に姫君は
泣くも泣かれず、声を上げ
「波も生あるものならば
荷(にない)を岸へ、打ち寄せよ
御鉾(おおこ)も生あるものならば
岸へも寄りてたもやい」と
届かぬ事も声かぎり
言うては、そこに、伏し転び
身も浮くばかりの御嘆き

 

ようだ:既出10上、不明。栗田(くんだ)ヵ?

 御鉾。「おほこ」の転。物を運ぶための棒。京都では「担い棒」。


説経祭文 三庄太夫 十六 浜難儀乃段 上


説経祭文

三庄太夫 
安寿姫

 

十六 浜難儀乃段 上 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

京屋沢吉・蝶二・粂七・松五郎

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

はまなんぎの段

若太夫直伝

 

さればにや、これはまた
掛かる所へ、山路より、

ものの哀れは、弟の若
ようよう、尋ね来たりしが
姉の姿を見るよりも
そのままそばへ、走り行き
「姉上様」とばかりにて
泣くより外の事ぞなし
姫君、はっと驚いて
「そなたは、最早、山路の下職を勤めしか」
若君、聞いて、涙を払い
「これはしたり、姉上様
何しに、私が、山路の下職を勤めましょう
お別れ申し、山路に登り
山樵達の、情けの勧進を、受けんと思いしに
夜前、三郎殿、由良千軒を触れ流せし故
勧進致す者も無し
去りながら、山樵達の教えに任せ
我が手で、柴木を樵らんと致せば
習わぬ下職の悲しさは
柴木は、樵らいで、このように
左の小指に切り掛かる
所詮、我が手で下職は勤まらぬ
広次様への申し分け
直ぐに、山路にて、生害と存じましたが
山浜共に、勧進を留めるとあれば
姉上様にも、浜路にて
定めし、ご難儀をなされてましまさん
浜路へ急ぎ、姉上様に御(おん)目に掛かり
その後、生害いたさんと
これまで、尋ね参りし」と
聞くより、姫君、驚いて
「そなたも、左様か、自らも、

浜女郎の来たるなら
潮の勧進、浮けばやと
三郎殿、由良千軒を触れながせし故
勧進致す者も無く
自らも、賤の女達の教えに任せ
我が手で潮を汲まんとすれば
習わぬ下職の悲しさは
打ち来る波に、桶も御鉾(おおこ)も巻き取られ
所詮、下職は、勤まらぬ
広次様への申し分け
そなた斗りは、殺しはせぬ
姉諸共、この大海へ、身を投げて
広次様への申し分け
去りながら、常々、母上様の、仰るには
そなたの面差しは、筑紫にまします父上様に似たとある
又、自らが、面差しは、母上様に似たとあれば
わしは、そなたを、父上様じゃと思うて
先立つこの身の不行跡(ふこうせき)

影ながらの、お暇乞い
そなたも、わしを母上様じゃと思うて
影ながらのお暇乞い
まずまずこれへと、居直らせ
その身は砂地へ手をついて
弟(おと)の面差し、打ち眺め
「父上様へ、我々が先立つ、この身の不行跡
お許し為されて給われい、父上様」
と、ありければ
若君、居直り、手を突いて
姉の面差し、打ち守り
「母上様へ、我々が先立つ、この身の不行跡
お許し為されて給われ」と
互いに顔を見合わせて(やわせて)
暫く、嘆きおわせしが
人目に掛からぬそのうちと

 

ふぎょうせき【不行跡】「 不行状ふぎようじよう 」に同じ。
ふぎょうじょう【不行状】身持ちが悪いこと。不行跡。ふしだら


説経祭文 三庄太夫 十六 浜難儀乃段 下


説経祭文

三庄太夫 
安寿姫

 

十六 浜難儀乃段 下 

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫
  枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

京屋沢吉・蝶二・粂七・松五郎

 

板元
馬喰町二丁目
森屋治兵衛
横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

はまなんぎの段

若太夫直伝

 

(人目に掛からぬその内と)

 

浜の小石を拾い取り
袂よ、裾よ、懐と
入れて、手に手を取り交わし
小高き岩へ登られて
西に向かい手を合わせ
「南無や、西方弥陀如来
非業の最期の我々を
来世は、助け給われい
南無阿弥陀仏、弥陀仏」
と、唱うる六字と諸共に
既に、こうよと、見えけるが
伊勢の小萩は、駆け来たり
「やれ、待たれよ」
と、押し留め
「斯くあらんと、知る故に、後を慕い
あれにて、様子は残らず聞きました
この大海へ、身を投げんと思うは
さらさら、無理とは思わねど
花なら蕾の二人の衆
死は一旦にして、遂げ易し
生は万代にして、受け難し
及ばずながらも、自らが
そなた衆に、語り聞かする事のある
先ず先ず、これへ」と
兄弟を、遙かの陸(くが)へ連れ来たり
右と左に引き寄せて
「これ、二人の衆
自らが、ものを語らば、ようも聞いてくだされ
自らとても、元、この国の者ならず
伊勢の国は、秋山一門(?)の姫なりしが
子細ありて、浪人なし、露命の種に尽き果て
父上様は、夜な夜な
殺生禁断の二見浦へ、忍び出で

かくして、魚を採り(とり)
売り代なして、朝夕の煙の代(しろ)とする
天に口、岩が物言う、世の習い
何時しか、地頭へ漏れ聞こえ
父上様は、絡め取られて
水牢(みずろう)の御糾明
遂には、簀(す)巻きにされて
海の水屑(みくず)
其の後、自らは、
人商人(ひとあきんど)の手に渡り
今の三庄太夫へ買い取られ
手も慣れざる、下々の業
今日は、一命を捨てん
明日は、一命を捨てんと
思いし事も度々(たびたび)なれど
心で、心を、取り直し
月日を送るその内に
習おうより、慣れろは賎(げす)の業とやら
いつしか、下職も手慣れ
心に済まぬ事ながら、いつぞやより、
あの、三郎が寝屋の忍び妻
去りながら、頼り拙き(つたなき)伊勢の小萩
今よりしては、二人の衆を
実の妹、弟と思う程に
誠の姉を、持ったと思うて
頼りになって下され
又、そなた衆が、下職に慣れる迄は
いつまでも、お主は、良きに取りなさん」と
情けの言葉にご兄弟
両手を合わせ、伏し拝み
「それが、誠にましますや
命の親の小萩様
今日よりしては、我々が
真実親身の姉上様
実の妹、弟と
お目掛けなされて給われ」と
嬉しく、涙に暮れ給えば
小萩も、斜め(なのめ)に喜んで
「さあらば、お主へ、戻らん」と
三人、固くも、兄弟の契約なして
それよりも
太夫を指して戻りける

大和秋山氏

中世の大和国宇陀郡に、「宇陀三将」といわれた秋山氏、芳野氏、沢氏らの国人領主がいた。三氏は『勢衆四家記』では、「和州宇陀三人衆」として伊勢国司北畠氏の与力、のちには被官になったと記されている。
 秋山氏は国造が貢進したという伊勢神宮領大和国宇陀神戸の神戸社の神主家で、同神宮の被官であったと考えられる。神戸社が春日社の末社になると、秋山氏は春日神人の国民として興福寺被官になったものとみなされる。一説に、甲斐源氏の一族秋山光朝を祖にするというが、詳らかにはできない。秋山氏は、宇陀秋山城に拠って勢力を拡大していった土着の豪族の後裔であろう。

 

二見浦
二見浦(ふたみがうら)は、三重県伊勢市二見町の今一色から立石崎に至る海岸。 立石崎から神前岬までの海岸(神前海岸)もその一部とされることがある。
 伊勢湾に注ぐ五十鈴川の河口に形成された三角州状の地帯で、伊勢志摩国立公園に属し、国の名勝に指定され、日本の渚百選にも選ばれている。神宮参拝の禊場でもあった[1]。

立石崎の二見興玉神社内にある夫婦岩は全国的に有名である。


説経祭文 三庄太夫 十七 対王丸加羅歳乃段

 説経祭文

三庄太夫 
安寿姫


十七 対王丸 加羅歳乃段 

  

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

京屋蝶二・沢吉・粂七・松五郎

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

からとし(空年)の段

若太夫直伝

 

さればにやこれはまた
斯くて、太夫になりぬれば
小萩殿、毎日、下職を取りなして
月日を送らせ給いしが
程無く、今は、年の暮れ
早、極月(ごくげつ)は、大晦日のなりぬるが

 元より、邪見の太夫殿
かの三郎を召され
「如何に、三郎
買い取りたる、兄弟の奴ら
明けては、父が恋しい
暮れては、母が懐かしいと
只、べそべそと、 泣いてばかりけつかる 憂いな奴ら
一夜明ければ、寿(ことぶき)祝う、正月元旦
あのような、憂いな奴らを
家内へ置かば、年中の不吉の種
三が日がその内は
何の用も無い奴ら
三の関屋のあばら小屋へ、ぼい込んで
湯水、食事を絶やし
斃(くたば)らば、斃り次第
空年を、取らせておけ」
「はあ、心得まして候」と
尻、ひっからげて、一散に
東の小屋へ、飛んで行き
「さあ、来い、失しょう」と
兄弟を、弓手馬手に引き立て
三の関屋へ引き摺り行く
難無く、彼処に(かしこ)なりぬれば
あばら小屋へどっかと、引き据え

「おのれらは、
明けては、父が懐かしい
暮れては、母が、恋しいと
べそべそ、ぼ泣いてけつかる 憂いな奴
一夜、明ければ、寿祝う、正月元旦
うぬらが様な、憂いな奴らを、家内に置かば
一年中の不吉の種
三が日が其の内は
何も用の無い奴ら
このあばら小屋へ、 ぼい込んで
湯水、食物(しょくもつ)を差し留め
斃らば、斃り次第
空年を取らせて置けと
父上様の申し付け
この三郎なぞは、 一夜明ければ
差し当たっての年男
半時(かたとき)暇のねい体
それに何ぞや、おのれらは
三が日がその間、 このあばら小屋にて
湯水、食事を絶やされて
空年、取るなぞと言うことは
いやはや、冥加に叶った猿松めら

 ゆるりと空年、取り居れ」と
言い捨て、門の戸、差し固め
外より、しっかと、締まりをし
我が家を指して、戻りける

後にも残るご兄弟
互いに顔を見合わせ(やわせ)て
先立つものは、涙なり
安寿、涙の顔を上げ
「そも、兄弟が故郷(こきょう)では
斯く、正月の来る時は
身にも穢れのある者は
別屋で年は取らせ
別火(べっか)をもって、三度の食事は致すとある
それに何ぞや
我々兄弟、身にも穢れの無きものを
このあばら屋へ、ぼい込めて
食物(しょくもつ)、差し留め
空年を取らせると言うことは
丹後の国の習いかや
由良の湊の習いかい(※え)
但しは、お主の家風かや
のう、弟」と
ありければ、 若君、涙の顔を上げ
「思えば、邪険な、お主様
のう、姉上」
と、ご兄弟、 泣く泣くその夜を暮らさるる

既に、その夜も明けけるが
いとど、涙の顔を上げ
「哀れ、我々、兄弟も
御代が堅固で、栄えなば
今日、正月の元日と
信夫の御殿の奥の間で
綾や錦を着飾りて
姫君様よ、若君と
御乳(おち)や乳母(めのと)に 傅かれ
破魔弓、手鞠のもて遊び
 女郎、局を、相手とし
百首の歌をも取るべきに
斯く世に落ちて、あのような
邪見の太夫に買い取られ
食なすものも、食なさず
空年取るということは、何か成る
これは、先生(さきしょう)の報いか、罪か、悲しや」と
御身を恨み、世を恨み
泣く泣く、暮らす元日も、明けければ
正月二日となり
それは、捨て置き、三郎は
当年中の殺生初め
歳神様へのさげうをと
又、父上の酒の肴にいたさんと
雪の降るのも厭い(いとい)なく
餅竿を引っ提げ
三の関屋の小籔へ入り
小鳥刺して、いたりしが
あばら屋小屋にて、兄弟が
何か囁く、話し声
合点行かぬと三郎が
壁に耳付け、立ち聞くとは、 ご兄弟、神ならぬ身の夢知らず
「これ、弟
去暮れ(きょくれ)、浜路にて
賤の女達の噂を聞けば
正月十六日は、 太夫が家の家風にて
山浜の下職初めとある
その十六日、 そなたは、山路の下職に出たなら
山路より、都へ落ちて、 出世をしてたもいやい
のう、弟」
若君、聞いて
「これは、したり、姉上様
それ、世の中の例えにも
女子は、氏無うても、玉の輿に乗るとある
姉上様と、申しまするは、 氏も系図も備わりし
五十四郡のお姫様、 落ちて、出世がなるならば
あなたが、都へ落ちて、 出世をあそばせ」
「いやいや、それは、そなたが 心得違い(たがい)
自らは、岩城の家の総領と生まるる果報は、ありながら
有るに甲斐無い女(おなご)の身の上
そなたは、弟に生まれて
系図の備わる対王丸
そなたが、都へ落ちてたも」
「いえいえ、姉上様
あなたが、都へお落ちあそばせ」
「いや、弟、そなたが」と
暫く、互いに、落ちよ落ちまいの争い、果てやらず
三郎、それと、聞くよりも
鳥刺しどころじゃ御座無いと
餅竿、がらりと、投げ捨てて
門の戸、はっしと蹴破って
あばら小屋へ、ずっと入り、 襟筋掴んで
「やあやあ、おのれらは、おのれらは
初春、早々、駆け落ちの相談
聞き逃しにならぬ
父の御前へ連れ行き、 この事申し上げる


ごくげつ【極月】
〔年の極きわまる月の意から〕
12月の異名。しわす。ごくづき。

さる‐まつ【猿松】

《松の字をつけて人名めかしていった語》
1 猿をののしっていう語。
2 まぬけな者や小生意気な者、わんぱくな子供などをののしっていう語。

(?提げ魚)
(※ささげうお?カ:捧げ肴)
(※あるいは、さけうお:酒肴)


説経浄瑠璃 三庄太夫 十八 焼鉄段 上

三庄太夫
安寿姫
対王丸

焼鉄段

 

説経浄瑠璃 十八 上 

 

薩摩若太夫
伊勢太夫・近太夫

薩摩兼太夫・高太夫・音太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・吉治

 

横山町二丁目
板元 「泉

 

焼鉄(やきがね)の段 

 

去る程にこれはまた
強悪不敵の三郎は
「さあ、来い、失しょう」と
兄弟を、弓手と馬手に鷲掴み(わしづかみ)
三の関屋の方(かた)よりも
我が家を指して、連れ来たり
広庭へ、どっかと、引き据え
一間に向かい、父上様と呼ぶ声に
三庄太夫、静々と、立ち出で
「慌ただしい、三郎、何事なる」
「いや、何事どころじゃ、御座りませぬ
今日は、正月二日の殺生初めとして、

神へ提げ魚、ふたつには、父上の
酒の肴に、いたさんと
三の関屋の小籔へ入り
小鳥を刺して、おりましたら
あばら小屋にて、兄弟のやつらが、

何か、つべこべ話し声
合点行かぬと壁に耳立ち、聞き致せば
姉に、落ちよ、弟に、落ちよと
春早々、駆け落ち相談
聞き逃しにならぬ故、引き摺り参りて候が
この義は、如何、計らいましょうな」
太夫、聞いて
「その義にあらば、三郎
何処へ(いづく)駆け落ち致すとも
丹後の国、由良の湊、三庄太夫が譜代の家来という確かな目印
そいつ等が、しゃ額(びたい)へ、焼鉄を当ててやれ」

「成る程、父上様の思いつき
焼鉄が良うござりましょう
どれ、あててくりょう」と
その身は、一間へ、走り行き
大きなる矢の根を、持ち来たり
はんど(?ばんと)火鉢 へ、刺しくべて
起こり有りける、その上へ
片炭(かたずみ)しこたま
浚い(さらい)込み
庭にへ降ろして、三郎が
団扇(うちわ)を取り
おんどり(踊んどり)上がって、扇ぎける
炎、盛んと、起こりしが
矢の根は、真っ赤に、焼けければ
「申し、父上様
姉の女郎才(めろさい)から先へ 当てましょうか
弟の童子(わっぱし)から先へ当てましょうか
如何致しましょうな」
太夫、聞いて
「それ、世の中の、例えにも
一つ二つ増さば、兄、姉
三つ四つ増さば、親と敬えとある
何でも物事は、順がいい
姉の女郎才から、当ててやれ」
「はは、心得まして候」と
彼の姫君の、黒髪掴んで
くるくる巻き付けて、膝の下に掻い込んで
馬手に焼鉄、おっ取って
既に、当てんとなしければ
若君、はっと驚いて
焼鉄持つ手に取り縋り、
「これこれ、申し、三郎様
それ、世の中の例えにも
本に女(おなご)は、一に見目二に髪、貌(かたち)と申するに
その恐ろしい焼鉄を、姉上様の身額(みびたい)へ
無残と当てさせ給うなら、生まれも付かぬ、片端者
当ていで、叶うものならば、童(わっぱ)が額へ
いくつなと、お当てなされて
姉上を、お許し為されて下さりませ」
三郎、聞いて
「黙れ、童子、名々に額に当てるが家の印の焼鉄
姉の額へ当てるのが、汝(うぬ)が面(つら)じゃ、焼いたとて
姉の印になるものか
邪魔ひろぐな、童子(わっぱし)め」と、
はったと、そこに、蹴飛ばして
真っ赤に焼けたる
焼鉄を、額へ、きっかり、十文字
血煙はっと、立ちけるが
わっと一声叫びつつ
そのまま気絶と、見えにける

しゃ
( 接頭 )名詞に付いて,卑しめののしる意を表す。しゃっ。 「 -つら」 「 -首」

女郎才( めろさい): 女性, 女を卑しめていう語


説経浄瑠璃 三庄太夫 十八 焼鉄段 下

三庄太夫 十八
安寿姫
対王丸

 

焼鉄段

 

説経浄瑠璃 下 

 

薩摩若太夫
伊勢太夫・近太夫

薩摩兼太夫・高太夫・音太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋粂吉・吉治

 

横山町二丁目
板元 「泉

 

若君、それと、見るよりも
まだ、幼少のあどなさは
こは、叶わなじと思いけん
そのまま立って逃げんとす
三郎、手早く
襟筋掴んで、引き戻し
「やあ、おのれ、たった今、何とぬかした
当ていで叶わぬ焼鉄なら、童(わっぱ)が、額へ
いくつなと、お当てなされて
姉上を、お許しなされて給われと、ぬかしたではないか
その舌の根も乾かぬに、姉に当てるを見るよりも
逃げんといたす
口に、似合わぬ、卑怯な童子
元はと言えば
おのれ等が、駆け落ち相談から、起こって当てる、この焼鉄
灸でさへ、皮切り三つは、堪え憎い

 熱かろうが、辛抱いたせ、童子め」
と、髻(もとどり)掴んで引き寄せて
膝の下へ掻い込んで
既に、当てんと、なしければ
姫君、ようよう、心づき
三郎がそばへ這い寄りて
焼鉄持つ手に取り縋り
「これ、これ、申し三郎様
それ、世の中の例えにも
殿御の好むが、向こう傷
値(あたえ)を出しても、求めよと、申しますれど
それは、太刀や刀で受けし誉れ傷
それと、これとは、事変わり
卑怯に受けし、焼鉄傷
よし、それとても、厭わねど
その、恐ろしい、焼鉄を
無残と当てさせ給うなら
何か、一命の堪るべき
当ていで叶わぬものならば
我が額へ、幾つなと、お当てなされて
弟(おとうと)を、お許しなされて、下さりませ」
三郎、聞いてあざ笑い
「いやはや、おのれらは
兄弟とて、同じ文句を、吠えやがる
名々の額へ当てるが、家の印の焼鉄
童が額へ当てるのを、うぬが、面(つら)中(じゅう)焼いたとて

童が印になるものか
邪魔ひろぐな、女郎才め」と
はったと、そこに蹴飛ばして
真っ赤に焼けたる焼鉄を
額へ、きっかり、十文字
血煙、はっと立ちけるが
わっと、一声、上げ給い
そのまま、気絶と見えにける
太夫、それと見るよりも
両手(りょうて)を挙げて
「でかした、三郎、良く当てた
それでこそ、三庄太夫が譜代の家来
西は、九州薩摩方(がた)
南は、紀の路(きのぢ)熊野浦
東は、松前、蝦夷、お露西亜
北は、加賀、能登、佐渡ヶ島
何処(いづく)へ、駆け落ち致すとも
よも抱(かか)える者は、あるまい
去りながら、今日は、正月二日
焼鉄傷の付いた、生血のたれる奴ら
家内へ置かば歳徳神(としとくじん)への畏れ
 十六日の下職初めまでは、何も用の無い奴ら
ようだが浜(?※既出)へ連れ行き
松の木船を引き被せ
くたばらば、くたばり次第
空年を取らせておけ」
「はは、心得まして候」と
かの兄弟を、引き立てて
浜辺を差して、引き摺りゆく

皮切り
かわきり 手始め 最初に据える灸は皮膚を切るような痛みを感じることから

歳徳神(としとくじん、とんどさん)は、陰陽道で、その年の福徳を司る神である。年徳、歳 神、正月さまなどとも言う


説経祭文 三庄太夫 十九 船伏乃段

説経祭文

三庄太夫 

安寿
対王

 

十九 船伏乃段

 

薩摩若太夫
千賀太夫・浜太夫

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦
京屋沢吉・蝶二・粂七・松五郎

 

横山町二丁目
和泉屋永吉版

 

船伏の段(ふねふせのだん)
若太夫直伝

 

さればにや、これは又
斯くて、浜辺になりぬれば
そのまま砂地に引き据えて
そばに有りおう
松の木船を、引き被せ
上には、粗朶(そだ)を積み重ね
「ゆるりと、空年、取りおれ」と
言い捨て、我が家へ戻りける
後にも残るご兄弟
互いに、顔を見合わせて
泣くより外の事ぞなし
それは、扨置き、ここに又
三庄太夫五人、子供のある中に

二男の次郎、広次(ひろつぐ)は
元より情け、深ければ
兄弟二人の者共が
かかる難儀と聞くよりも
伊勢の小萩を密かに招き
「如何にとよ、小萩
聞けば、兄弟の者ども
父上様の御不興を被り
額に焼鉄を当て
その上、ようだが浜(?※既出)へ連れ行き
松の木船を被(かむ)せ
十六日まで、空年を取らすとある
そのまま、捨て置くものならば
何、一命の堪るべき
忽ち、餓っ死(がっし)は、治定
只、此上は、その方と心を合わせ
夜半に紛れ、食事を運んで、得させん
はやはや、用意を仕れ」と
仰せに、はっと、小萩女(じょ)は
「それが、誠にましますや
しからば、仰せに任せん」と
喜び、下(しも)へ下がられて
情けの食事をしつらいて
かの広次に渡しける
広次、食物、受け取って
その夜をはじめ、毎夜毎夜
浜辺におわする兄弟に
情けの食事、送られて
命を繋ぎ置く事は
夢にも知らぬ太夫殿
程無く正月半ばなる
十六日になりぬれば
かの三郎を招され
「やい、三郎、ようだが浜に
空年を取らせて置く、兄弟の奴等

よもや、命は、あるまい
命が無くば、大海へ投げ込んで、底の水屑
千にひとつ、命があらば、連れ来たれ

山浜の、下職に出ださん
早や疾く、浜辺へ行て
様子を見てこい、三郎」
「心得まして候」と
父が御前(みまえ)を、すっと立ち
尻、ひっからげて、三郎は、
浜辺を指して、飛んで行く
なんなく、二人の兄弟を
我が家を指して連れ来たり
先ず、広庭へ、引き据え
「もうし、父上様
よもや、命はあるまいと存じ
大海へ投げ込んで、底の水屑と思いの外
案に相違のこの達者
こいつらに、焼鉄、当てたは、二日の朝
今日で、丁度、十五日
湯水、食物を差し留め
この様に、達者な所を見れば
なんと父上様
下の奴らに、毎日々々、三度ずつ喰わせるは、

如何(いかい)無駄かと覚えたり」
太夫、聞いて
「成る程、三郎が言う通り
下の奴らも、明日から、二食(にじき)で良かろう
何はともあれ、命、有るが目出度い
今日は、我が家の下職初め(はじめ)
いつもの通り、山浜へ出だしてやれ」
「心得まして、御座ります
これ、兄弟のやつら
今日は、我が家の下職初め
いつもの通り
童子(わっぱし)めは、山路へ登り
三荷の柴木を樵るが役
女郎めは、浜路へ下り
三荷の潮を汲むが役
さあ、きりきり、山浜
下職に失せおれ」と
言い捨て、三郎、行かんとす
何を思いけん、姫君は
三郎が裾に取り縋り
「やれ、待ち給い、お主様
信夫が、ひとつの御(おん)願い
何卒、今日は、自らを
弟と一所に山路の下職に
お出しなされてくださりませ
兄弟諸共、山路へ登り
三荷ずつ、六荷の柴木、樵りまして
お主様へ戻りましょう
どうぞ、山路の下職に
お出しなされて下さりませ」
三郎、聞いて
「だまれ、女郎
由良が湊では、女を山へ出だすこと
家の恥辱、叶わぬ事
なんと、父上様、左様じゃござりませぬか」
「成る程、三郎が言う通り、家の恥辱
去りながら、たまたま、女郎が願い
まさか、無にもなるまい
その義にあらば
女郎めを、わっぱに仕立てて
山路の下職に出してやれ」
「心得まして候と
大刃(おおば)お髪剃り、持ち来たり
無残なるかや、姫君の黒髪を
僅か残して、ふっと切って、草束ね
「さあさあ、山路へ失せおれ」と
追い出されてご兄弟
涙ながらに、それよりも
下職の道具を携えて
山路を指して、急がるる


説経祭文 三庄太夫 二十 兄弟道行乃段

 

説経祭文

 

三庄太夫 

 

安寿

対王

 

二十 兄弟道行乃段 

 

薩摩若太夫

千賀太夫・浜太夫

 

枡太夫・谷太夫・竹太夫・君太夫

 

三弦

京屋沢吉・粂七・粂八・蝶二

 

横山町二丁目

和泉屋永吉版

 

道行の段

若太夫直伝

 

さればにや、これは又

いとどその日は、掻き曇り

道は雪やら、霙(みぞれ)やら

御身も凍え、ご兄弟

歩むとすれど、計(はか)取らず

三の関屋の中(なか)並木

ようよう越えて

いつも別れを惜しまるる

別れが辻になりぬれば

何、思いけん、弟の若

わっとばかりにの声を上げ

只、醒め醒めと嘆かるる

姫君、はっと驚いて

「これはしたり、弟

其方は、何を、そのように歎いて

自らは、誰(たれ)を頼りに

今日の下職を営まん

悲しい事があるならば

自らにも語り聞かせてたもやいのう」

若君聞いて、涙を払い

「これはしたり、姉上様

私が歎きまするは、別ならず

それ、世の中の例えにも

本に、女子は、一に見目

二に髪貌(かみかたち)と申しまするに

その一の見目へは

焼鉄を当てられ

今も今とて、その様に

命代わりの黒髪も

あの三郎に、切り取られ

二つに曲げて、草束ね

御身に綴れ山が半天(ばんてん)山はばき(脛巾)

 

 はばき【脛=巾/行=纏】

 

旅行や作業などの際、すねに巻きつけてひもで結び、動きやすくしたもの。古くは藁(わら)や布で作った。後世の脚絆(きゃはん)にあたる。脛巾裳(はばきも)。 

 

縄をしごきの帯びとなし

下職の道具を肩に掛け

山路へ登る姉上様のお姿が

如何に、お落ちなさればとて五十四郡の姫君と言われましょうか

姉上様

そればっかりが悲しゅう存じます」

安寿は、聞いて

「おお、よう言うて給(たも)りやった、弟

去りながら、見目髪貌 (めみかみかたち)

それは、兄弟が世にある時のこと

斯く兄弟が世に落ちて

見目髪貌もいらばこそ

いつもわしは、浜路

そなたは、山路

これが別れか姉上様

これが別れか弟と

別れを惜しむ別れが辻

今日は、自らが願いによって

そなたと一緒に、山路へ登るか、嬉しいぞよ

弟、勝手を知った様に

機嫌直して、姉を、山路へ

連れてたもやい、のう弟」

「はっあ、左様ならば、姉上様

これより先は、至って難所に候えば

この道筋をこなたへ」と

泣く泣く姉の手を取りて

とある別れが辻よりも

白雪踏み分け、遙々と

山路を指して登らるる

七つ曲がりや、八(や)峠の

嘶く(いななく)駒の沓掛や

千本松山、早や越えて

これも山路に隠れ無き

休みが峠になりぬれば

これに疲れを休めんと

互いに木の根に腰を掛け

暫く休らえ、おわせしが

安寿、心に思すには

『何かに付けても弟を

今日こそ都へ、落とさん」

と、思し召されて、姫君は

「はあ、それそれ

せめて、兄弟が、肌身離さず

信心なす、佉羅陀山(きゃらだせん)の地蔵尊

これにて、拝し兄弟が

身の行く末を、良き様に

お願い申さん、のう弟」と

守り袋の内よりも

地蔵菩薩を取り出だし

積もりし白雪掻き除けて

木の根に敬い、奉り

只一心に手を合わせ

「南無、有為、岩城の御守り

の地蔵尊

憐れみありて

兄弟が身の行く末を

良き様に守らせ給え」と

一心に、暫く拝しおわせしが

「それそれ、思い出せし事がある

いつぞや、母上様に

お別れ申せしその時に

母上様の仰せには

兄弟、何処(いづく)へ行けばとて

その地蔵尊は、

肌身、離さず、信心せよ

兄弟が身の上に自然大事のある時は

身代わりに、立たせ給う

まった、曲事(きょじ)災難は

救わせ給うと

母上様の仰せ

左までに尊っとき地蔵尊にあるならば

二つ日の朝

兄弟が額に、

このように焼鉄を当てらるる程の大難(だいなん)を、何故に救わせ給わらぬ

今朝も、今朝とて、このように

命代わりの黒髪まで

切らるる程の大難を

余所(よそ)に見給う地蔵尊

斯く世に落つれば、兄弟を

最早、見限り給いしか

思えば、思えば、恨めしの

地蔵尊」と、姉の姫

お恨み申せば、アラ、不思議の次第なり