第16段 六浦浜段 上

第16段

六浦浜段 上

むつらがはまの段  若太夫直伝

 

去ればにや、これは又

照手の姫の召されたる

洞の船と申するは

流れ揺られて、行く先は

三崎三浦が下浦の浦賀湊は早や過ぎて

大津、横須賀、鴨居、走水

(※三浦半島を東へ廻る)

夜半の頃、流れ揺られて、今は早や

これも武蔵に隠れなき

あれ金沢は六浦(むつら)が浜にぞ着きにける(※横浜市金沢区六浦)

今居る潮には磯近く

又引く潮干は沖の方

二夜三日も流れしが

それは扨置き、此処に又

六浦が浜の漁師達

朝漁出がけに、誘い合い

皆々、浜辺に集まって

「あれ、見やしゃれ

この頃、なんだか沖中を

おかしな物が流れている

ありゃ、さあ、何であろな」

「おお、成る程

見たところが、船は船だが

乗り手も無ければ、道具も無い

ありゃ、何であろうな

そして、見やしゃれ

今日も又、空合いが悪くなってきた

とてものことに、今日も漁を休んで

あのおかしな船を引き上げてみようじゃあるまいか」

「おお、成る程。そりゃよかろう

そんなら、おらが小舟を下ろそう」

と、小舟を一艘、仕立てられ

地曳の網を積み重ね

我も我も艪を置いて

沖を指してぞ、漕いで行く

難無く彼処になりぬれば

洞の船の胴中(どうなか)を

地曳の網で、しっかと括(くく)し

「やれ、引かしゃれ」

と言うままに、招き(※手を振る)を致して、仕方をす(※手真似)

浜辺に残りし漁師達

「そりゃこそ、引けや」

と、声を掛け

エイサラササッと引き上げて

皆々浜辺に集まり

洞の船をおっ取り巻き

評議まちまち

「見ゆあしゃれ、こりゃこれ

上も船、下も船

後先細くて、中膨(なかぶく)ら

「ああ、聞こえた

こいつは何でも

お江戸の方から、石屋の鑿(のみ)の看板か

但しは、サツマイモの看板か

それでなければ米饅頭(よねまんじゅう)の看板であろう

「おお、それそれ、その米饅頭で

おららが、思い出したる事がある

おららが、若い時に

江戸の小田原町の河岸へ

押し送り(※帆の無い船)に乗った時分

度々、見掛けたが

江戸の深川、井の堀(※江東区扇橋)あたりから出る

永久橋の名物、船饅頭というものがあったが

こりゃこれ、下も船、上も船

船と船とのくっつき合いだから

何でもこいつは、江戸の永久橋(※隅田川)の辺りから

船饅頭の焦げ付きが流れて

これまで来たんべえ」

(※船饅頭とは小舟での娼婦の事)

「成る程、動かしてみれば

なんだか中で、こつと、ごとと

音がする

音がするのは、あんだんべえ」

(※「なんだんべえ」の武蔵方言)

「船饅頭なら、やっぱり中の餡だんべえ」

「あん(餡:何)にもせよ、打ち壊したら

どのような物が出ようも知れぬ」

「それ、皆の衆

叩き壊してみやしゃれ」

と言うより早く

「心得らり」

と、言う儘に、

櫂や水棹(みざお)を持ち来たり

合い釘鎹、こじ放し

姫の召されし洞舟

ざっくと二つに、打ち壊す

あら労しの照手姫

二夜三日の疲れにや

涙で剥げし薄化粧

乱れし髪は、下げ髪の

御身に白無垢、緋の袴

中より、しょんぼり出で給う

漁師は見るより、肝潰し

「やあ、打ち壊したら

中から、図無い奴(※とんでもない奴)が、にょっと出たわい」

「こいつはまあ、滅相に器量の良い、化け物だ」

「ああ、聞こえた

こいつは、小野小町の亡霊か

但しは、楊貴妃の化け損ないであろうがな」

 

 

第16段 六浦浜段 下

第16段

六浦浜段 下

むつらがはまの段  若太夫直伝

 

(「ああ、聞こえた

こいつは、小野小町の亡霊か

但しは、楊貴妃の化け損ないであろうがな」)

「それでなければ

江ノ島沖が近いから

弁天様のお腰元が

船遊山にでも出かけたのよ

但しは、龍宮城の乙姫が

浦島、尋ねて来はせぬか」

と言えば

一人の若い者は

「それは、大きな間違いだ

この化け物を良く見れば

腰より上が、真っ白で

腰より下が。真っ赤いから

血の池地獄の門番が

飛脚に来たのであるべいぞ

何にもせよ、この様な化け物が

おららが浜へ着いたのは、所の不吉

この頃、漁の無いのも、みんなこいつがする業

この様な奴を助けて置かば

後で、どの様な祟りをなそうも知れぬ

いっその事に、叩き殺して

魚(うお)の餌物(えもつ)にしてしまえ

叩き殺せ」

と言う儘に、櫂や水竿を振り回し

既にこうよとなす所へ

村一番の年勝り

浦君太夫は、駆け来たり

「ああ、これ、待たっしゃれ、皆の衆

如何に、こなさん達

浜家育ちで、物に弁えがなければとて

あまりと言えば無学文盲

何のこれが、化け物であろう

こりゃこれ、只の人間じゃ

おららが、何も様子は知らぬが

都方(みやこがた)にて、公家、殿上人のい姫、后

不義密通の様なことをして

殺すには殺されず

又、生かしてもおかれぬ咎人を

父母の情けにて

洞の船にて流すとある

こりゃ、都方からの流され人じゃ

打ち壊したのが、洞の船

この姫を討ち殺して、魚の餌物にして

漁のある時は良し

又、泣い時には、金にあかしても

この様な姫を、尋ね求めて、魚の餌物にせずばなるまい

それでは却って、おららが浜の例になる

皆の衆、知っての通り

この浦君は、年七十に余れども

未だ、末の世継ぎが御座らぬ

何と、皆の衆

打ち殺したと思うて

この姫を、わしが世継ぎに下されや」

と言えば、数多の漁師達

誠の女と聞くよりも

少し、欲気が手伝って

「これが、誠の女なら

あれ、神奈川か新町へ

年いっぱいに売るならば

おららが、えらい金儲け

捨て売りにしても

二朱や五百(※匁)がものはある

おららが、浜へ着いた姫

やることならぬ」

と、争えば、浦君太夫

貰い懸かって、貰わねば

其の身の恥辱と心得

「ああ、これはしたり、皆の衆

わしが世継ぎに貰えばとて、只は貰わぬ

家(うち)へ連れ帰った、その後には

下戸も上戸も押し並べて

上諸白(じょうもろはく)(※清酒)三升継いで(※まとめて)礼に来るほどに

どうぞ皆の衆、わしが世継ぎに下され」

と、聞くより数多の漁師達

上諸白と聞くよりも

浜辺の習いか、土地柄か

「箱根山の向こうから

腰の骨を抜からかし

諸白継いで来るならば

やってしまやれ、皆の衆」

「連れて行かしゃれ、親父殿」

浦君太夫は喜んで

「そんなら、わしに下さるか

嬉しゅう御座る

去りながら、わしが世継ぎに貰うて

名が無うてはなるまい

何がな、ここで、名を付けて下され」

「おお、そんなら、おららが名付けましょう

待たしゃれや

この姫は、おららが浜を

二夜三日、流れ揺られていたによって

名を『おゆられ』と付けましょう」

「いやいや、『おゆられ』では

余り字余りで呼び憎い

『おゆり』でもあるまい

おお、それそれ

この浜へ着いた姫じゃによって

『頼姫(よりひめ)』と付けましょう」(※寄り姫の意カ?)

浦君、聞いて

「成る程、『頼姫』よからん

今に、上諸白継いで来る程に

皆の衆、待っていやしゃれ

頼姫、来たれ」

と、浦君が

照手の姫の手を取って

少し心もいそいそと

とある六浦が浜よりも

(※宿所を指して帰り行く)

 

第17段 浦君住家段 上

第17段

浦君住家段 上

浦君すみかの段  若太夫直伝

 

去ればにや、これは又

急げば程無く浦君は

難無く我が家になりぬれば

「さあさあ、これへ」

と内に入り

「ばば、今戻った

喜んでたも、今日は如何なる吉日やら

これこのような良い娘を、六浦が浜より

末の世継ぎに貰うて来た

良き聟取って楽しまん

今より、実の娘と思うて

随分可愛がってやらしゃれ」

と、言えばその時、婆様は

照手の姫の御(おん)顔を

穴の開くほど、打ち眺め

少し、悋気か知らねども

「これこれ、浦君殿

そなたは、浜へ出る度に

戻りの遅いは、今知れた

これ、この様な代物を

浜辺の方(かた)へ囲い妻

それ故、戻りも遅くなる

この頃は、お触れが厳しゅうて

囲い者がならぬ故

世継ぎと名を付け、引きずり込んで

娘、娘と、この尼を

娘ごかしにして置いて

良き寝をしようとは、恐ろしや

そうは参らぬ、親父殿

二人が中の世継ぎというは

十二か三の小野郎(こやろう)

昼は浜へ連れていて

合い艪を押させ、漁の手伝い

又、日よりの悪い時には

藁でも打たせ、縄でも縄せ

草履でも作らするが、末の世継ぎ

それにさあ、この様な

なま嫌らしい、この尼が

どうして世継ぎになりましょう

そなたが世継ぎにする気でも

この女房がなりなせぬ

早く返してしまわしゃれ

きりきり、尼め、出て行け」

と、行人坂ではなけれども

とんだ所から焼け出した

(※東京都目黒区:明和の大火の火元)

浦君太夫、呆れ果て

「やい、婆、おのれはまあ、何をぬかす

良い年こいて、悋気、焼き餅

呆れて物が言われぬ

年頃日頃、『世継ぎが無い、掛かり子(※老後の面倒をみてもらう子)が無い』とぬかす故

願うに幸い、このような良い掛かり娘を貰うてくれば

『いらぬ」とぬかす

成る程、おのれは、よくよくな天邪鬼

おのれが『世継ぎはいらぬ』

と言うとて、どうして今更、この娘が戻さりょう

よくよくおのれが、そのような根性なら

俺も又、おのれが様な奴に長とう添うて居ては、未来の妨げ

この屋財家財は、おのれに授けて

おりゃ、この姫連れて、

今から坂東巡礼と出掛ける

坂東三十三番打ち終わってあるならば

既に、花のお江戸へ連れ出て

両国辺りで、九尺二間の裏店(うらだな)借り

地獄暮らし(?)で、浦君

左団扇で寝て暮らす

おのれにゃ、暇くれたぞ」

と、言えば、負けぬ婆様で

「そなたが、思い切る気なら

こっちも未練は残しゃせぬ

出て行く気なら親父殿

去り状渡して行かしゃれ」と

言われて、その時浦君は

本より浜辺育ちにて

いろはのいの字も知らざれば

去り状書くのにまごついて

如何はせんと思いしが

何か、気取りの親父にて

そこらを尋ね

今戸焼きの火入れのザルを取り出だし(※炭火を入れる手あぶり)

戸棚の海老錠括し付け

「それ、サルジョウ(去り状)を持って、失しゃあがれ」

と、投げ出せば、横着者の婆

『こいつ、本当に出ていかれてはたまらぬ

よしよし、昔取った杵柄

親父を一番、掻きのめし(※いいくるめ)

留守にもなったら、いじめ出してくりょうぞ』

と、出もせぬ眼へ、唾を付け

「これ申し、浦君殿

それが誠か、胴欲な

六十年来、連れ添うて

如何なる事のあればとて

今更、其方に捨てられて

この身はなんと、なりましょう

無理に嫁入りしようけれど

今、七十に、年老いて

何処へ嫁入りなりましょう

腹が立つ(※経つ)なら、年だけに

もう了見してくだされ」

と、泣いて騙せば、浦君は

誠の事と喜んで

「そんなら、今も言う通り

実の娘を持ったと思うて

随分、可愛がってやらしゃれや」

 

 

 

 

第17段 浦君住家段 下

第17段

浦君住家段 下

浦君すみかの段  若太夫直伝

 

(「そんなら、今も言う通り

実の娘を持ったと思うて

随分、可愛がってやらしゃれや」)

「おお、可愛がらいで、何としましょう

のう、頼姫」と、猫なで声

お爺を見ては莞爾(にっこり)と

姫見る目は猿眼(さるまなこ)

顔、二色(ふたしょく)に使う事

昔、流行りか知らねども

ありゃ、りんとう見るような

(?輪灯:走馬燈のようなものを指すカ)

「これ、婆、そんなりゃ

俺(おりゃ)、六浦が浜の若い衆のもとへ

酒継いで、ちょっと礼に行て来る」

と、我が家を出でて浦君は

背戸(※裏の)の酒屋へ走り行き

諸白三升求められ

なっしょい、ひっしょい、ひょこひょこと

浜辺を指して、急がるる

村の子供は、これを見て

「お爺、どこへ行きやる

諸白、ひっしょっ(背負)て」

と、問うたれば、抜からぬ顔(※素知らぬ顔)で、浦君は

「嫁の在所へ酒盛りなんぞ」

と、急ぎ行く

 

後にも残る姥御前(うばごぜ)は

「ええ、面(つら)憎い、この尼め

六十年、来(き)い連れ添うて

馴染み甲斐ある浦君殿

ようも、ようも、誑かし

抱き寝をしようとは、太い尼

今こそ、思い知らせん」

と、側(そば)なる吹き竹、携えて

無慙なるかや姫君を

ちょうちょうはっしと打ち叩く

あら労しの姫君は

打たるるその手の下よりも

「これこれ申し、母上様

なんの子細も無い者を

懸かる打擲、御胴欲

叩いて、腹の癒えるならば

お心任せにした上で

もう堪忍してやろと言うて

堪能させてたべ、母上様」

とありければ、婆は聞いて

「すりゃ、何と言う

叩いて、腹の癒えるならば

お心任せにした上で

もう堪忍してやろと言うて

堪能させてたべ?

おや、この尼は、なかなか、洒落た事をぬかす

おのれは、この前流行った

「白木屋のお駒」もどきで、嘆きおる(※人形浄瑠璃『恋娘昔八丈』)

おのれが「白木屋のお駒」で歎くなら

おりゃ又、似合うた様に

「安達ヶ原」で責めてくりょう

(※奥州安達ヶ原:鬼女伝説)

これ、このように、ぐずぐず言うて下さるな

年が寄っては、耳が聞こえぬ

おりゃ、おのれを責め殺しておいて

まだ、寺参りもせにゃならぬ

年寄っては後生、一遍

南無阿弥陀佛、弥陀仏」

と、唱(と)のう口は、耳まで裂け

安達ヶ原の黒塚に、籠もれる鬼より恐ろしや

腹、散々、打擲して

「成る程、おらが夫(おっと)の浦君殿が迷わしゃったも無理では無い

見れば見るほど、色の生っちょろい、器量のいい尼だ

去りながら、わしも、

この家(や)へ嫁入りしたは、もとっと昔の事

『浦君殿の嫁御の様な

美しい嫁御は居ない

六浦が浜、一番じゃ』

『いや、江戸の役者に喩えて言えば

岩井半四郎(※女形)に、そのままじゃ』

と、言われた程の婆

なんぼ、年が寄っても、昔取った杵柄

髪、取り上げて化粧化粧(けわいけしょう)をして

色よき衣装を着替えるなら

なかなか、まだ、おのれにゃ負けぬ

これから、髪取り上げ

化粧化粧をして

色よき衣装に着替え

おのれと一番

器量競べをしましょう」

と、とんだ気まぐれな、お婆殿

そのまま庭に、降り立って

 

第18段 器量競段

第18段

器量競段 

きりょうくらべの段  

若太夫直伝

 

去ればにや、これはまた

先ず、大釜へ水を張り

藁をもって燃(も)し付けて

へしくべ、差しくべ、燃す程に

くらくらと湯玉の立つ程、沸かされける

それより、盥(たらい)へ汲み出だし

六十年来この方の

こび付いたりし、この垢は

糠袋では落ちまいと

細布(さいみ)(※さよみ:粗い麻布)の茶袋、取り出だし

きな粉を挽いたる豆の殻

しこたま、こだんと攫(さら)い込み

鶯(うぐいす)の糞はあらざれば

鶏の糞を攫い込み

洗う程に、こする程に

たくたくと、黒い血の流るる程、こすられける

さあらば、鉄漿(かね)を付けようと

前歯が二本、奥歯が二本

四本の歯へは鉄漿、黒々と付けられて

壊れし鏡台、直されて

髪を結わえんと思えど

ほんに情け無い

ごんほちり(?不明)ばかりの白髪頭のことなれば

なかなか、これではなるまいと

鑵子(かんす)の黒粉(こ)を掻き落とし

かえり油(※返し油?)へ練り混ぜて

白髪隠する黒油

鬢差(びんざ)し無くてはなるまいと

小鍋の鉉(つる)(※取っ手)を引き外し

「これ幸いの鬢差しぞ

島田崩しがよかろう

島田崩しは?」

と、丸髷、投げ島田

夫(おおと)のある身で大胆な

間男(まおとこ)本多(※本多髷)とやらかして

鉛の棟打ったる櫛を

横っちょの方へちょいと差し

これから、化粧と言うままに

背戸(せと)の兄の子(せなご)(※長男)が江戸土産

下村白粉一袋(※白粉屋下村山城:両替町)

寝粉(ねごな)になったを、尋ね出し

「なかなかこれでは足りまい」と

小麦の粉を取り出だし

冑鉢(かぶとばち)へぶちまけて

水、等分に掻き回し

これ、究竟の白粉と、

鼻の先から頬(ほお)額

少しいやみで、富士額

襟足なぞを付けられて

眉毛はちょっと、引き眉毛

胸から肋、両の腕

臍の下まで、塗り下げたり

ものに良く良く喩えなば

請負仕事の左官屋の鼠壁にぞ事似たり

嗜みのいい婆様

上巳(じょうし)(※3月節句)の年の寒の紅

ひとちょく出だし、上唇から下唇

歯茎の周りや、舌の先

しこたま、こだん(?小段)となすられて(※段段に)

曇った鏡に打ち向かい

口を開いたり、結んだり

物に良く良く喩えなば

杣(そま)捨て場(※ゴミ捨て場)の赤犬が

夕べの杣に喰い飽きて

欠伸をするにぞ、さも似たり

「さあらば、衣装を着替えん」と

納戸の内へ走り行き

車長持(くるまながもち)、錠前開けて

蓋を取り出すは

昔の一張羅、上着は何かとみてあれば

花色木綿、裏は茜(あかね)の裾回し

五とこ紋は、大きな丸に

三つ引きの公家衆遊びか知らねども

柳に蹴鞠の裾模様

上代染めの袱紗帯

路考(ろこう)結びに、結び下げ

小褄を取って、婆様が

じょなめき(※なまめかしく)出でたる有様を

よくよく物に喩えなば

ふるねこ(?古猫)、着たる如くなり

姫君は、ご覧じて

既に笑わんとなされしが

ようよう、可笑しさを堪え

「これは、これは、母上様

とんだ立派にできました」

と、誉めければ、婆は勝(かつ)に乗り

「あい、ちと、そうもありゃすめえ

これから、おのれと、器量競べ

さあさあ、これへ」

と、言うままに

曇りし鏡に打ち向かい

二人が顔を、うつせしが

お婆は、はっと驚いて

「えい、情け無い、何事ぞ

年が寄れば、この様に

鏡までが、馬鹿にして

悪く見せるか、恨めしい

馴染み甲斐無き、この鏡」

と、床の柱に打ち付けて

落下微塵に打ち壊す

その日は丁度正月の十一日の事なれば

昔が今に至るまで、お鏡割りと言うことは

この姥御前より、始まりし

姿を誠に見せるのは

水鏡が良かろうと

彼の姫君を盥(たらい)のそばへ連れ行きて

二人の姿を映せしが

何に姫に叶うべき

お月様とすっぽん程の違いなり

「思えば思えば腹立ちや」と

片膝まくり、咎無き盥を踏み壊す

「はあ、それそれ、総体、殿御というものは

色の白いを好いて

色の黒いを嫌うとある

浦君殿の戻らぬうち

こいつを浜へ連れていて

松葉で燻してくりょう」

と、なんの厭いもあらないで

高手小手にくくしあげ

「さあ来い、失しょう」と、姫君を

とある我が家の方よりも、浜辺を指して引きずり行く

 

第19段 松葉燻段

第19段

松葉燻段 

松葉いぶしの段  

若太夫直伝

 

去ればにや、姥御前は、なんなく浜辺になりぬれば

潮焼く釜のその棚へ

彼の姫君を追い上げて

枯れたる松葉を積み重ね

用意の火道具、取り出だし

手早く燃し付けその上へ

生なる松葉を積み重ね

大なる団扇をおっ取って

「燻(いぶ)れ、煙(けむ)れ」と、扇ぎける

松葉はしきりに燃え上がる

あら恐ろしの黒煙

煙に巻かれて姫君は

「こは、叶わなじ」と、一心に

「南無有為清滝観世音(坂東三十三カ所の26番:土浦市:千手観音)

姫が難儀の候ぞ

何卒、救わせたび給え」

と、只一心に念じしが

ああら不思議の次第なり

凡夫の目には見えねども

紫雲の上に観世音

只、麗々と現われて

御額(おんひたい)の白毫(びゃくごう)より

光を発すと見えけるが

彼の姫君へ光明掛かり

煙を四方へ吹き回し

御身に子細はなかりしが

それとは知らで、婆様は

生なる松葉に枯れ松葉

やったら無性に積み重ね

「燻(いぶ)れ、煙れ」

と扇ぎしが

彼の姫君の色の白い御顔へ

仄かに架かる薄煙

姫の御顔、桜色

燻すお婆がその面は

真っ黒々の平家猫(不明)の如くなり

「もう良かろう」と

松葉の燃え落ちるを待ち兼ねて

棚の上より引き降ろし

「やあ、おのれは、おのれは

いけしゃあしゃあ、まちまちとして、けつくなる

どうやらこうやら

松葉の五六百も損をした

いっそのことに、叩き殺して払らえん」

と、松葉の幹を振り上げて

「死ねや死ねや」

と言うままに

無残なるかな姫君を、ちょうちょうはっしと打ち叩く

掛かる折から、向こうより

所に見慣れぬ風俗の派手な拵え、ひと腰に

目立つ合羽の旅出立ち

人買い一人、駆け来たり

「ああ、これ、待たしゃれ、おふくろ

何か様子は知らぬが

さっきにから、あそこで見ていれば、可哀想に

この娘を、やったら無性に

こなさんは、『死ね死ね』言うて

叩かかしゃる

さまでに憎(にく)の娘なら

打ち殺したと思うて

何と、わしに打って下されんかい」

婆は聞いて

「何じゃ、この尼を売ってくれ

お前は、大方、わしが為には

神か仏でがなあろう

連れて行って下さるなら

売ることはさて置いて

非道い(ひどい)工面をしても

鰹節の一本や二本は付けてやります

早く、どこへぞ、連れて行って下され」

「いやはや、わしも商売

人の娘を只では貰わぬ

そんなら、こうしましょう

幸い、ここに持ち合わせの銭が二貫あるから

これを酒塩(さかしお)代に置きましょうから

わしに、売って下され」

と、二貫の銭を渡されて

「そんなら、わしが、買いました」

と、娘の縛め、解きほぐし

照手の姫の手を取りて

何処とも無く連れて行く

 

後にも残る姥御前(うばごぜ)は

二貫の銭を、つくづくと打ち眺め

「成る程、

物は案じまいもの

あいつを燻して

松葉の五六百も損したと

思ったら、二貫の銭にありついた

とは言う者の

この銭をこのまま家(うち)へ置いたなら

忽ち、親父に見つかろう

よしよし、思い付いたることある」

と、二貫の銭をそれよりも

背戸の酒屋へ持ち行きて

先ずは一分と金(かね)になし(※一分金)

それより、我が家へ立ち帰り

上端(※端数)の二百五六十

これは、めくりの元手(※賭博)ぞと

彼の鏡台の懸け籠の下に始末をし

さて又、一分のこの金(かね)は

どこへ置いたらよかろうと

とつおいつの思案なり

隠す所にまごついて、何処の国

皺だらけな腹の皮を

ひんのばし、臍の穴へ突っ込んで

上から膏薬貼っておく

さて、入り用のその節は

上なる膏薬、引っぺがし

ほじくり出して使う故

昔が今に至るまで

隠居婆様、臍繰り金(がね)と言う事もこの姥御前より始まりし

 

第20段 萬屋段 上

第20段

萬屋段 上 

よろづ屋の段  

 

去る程に、これは又

御労しの照手姫

彼の人買いの手に渡り

売られ買われて行く先は

東海道は十五カ国

中山道が、美濃国

垂井の宿に隠れ無き

萬屋長がその元に

身の代、積もりて今は早

四十二〆(しめ)(※貫)に買い取られ

諸事の哀れを留めけり

長右衛門(ちょうえもん)、姫をつくづく、打ち眺め

「ても、見目美しい生まれ付き

そちが名はなんと申す」

と問われて、その時姫君は

「ここにて、照手を名乗るなら

冥途にまします夫上の御名の恥辱と覚えたり

良きに、お主を偽らん」

と、両手を突き

「申し上げますお主様

そも自らは、彼方此方へ売られつつ

行く先々で名が替わり

定まる名とて候らわず

哀れお主のお情けで

良き名をお付けなされてくださりませ」

長右衛門、聞いて

「これ、およそこの土に生まれて来て

空をさ渡る鳥類

又、地を走る四つ足

虫、こうこう(?蝗々)に至るまで

名の無きものがあろうか

去りながら、行く先々で名が変わり

定まる名が無きとあらば

汝が国はいづく

我が家の習い

そちが国を語れしに

名を象り、良き名を付けて得させん

語れ、聞かん」

と、ありければ

姫君、それと聞くよりも

『相模の者に候』と言わんとせしが、

『待てしばし、相模の国と申するは

邪見なりける父上や兄三郎のおわす国

我が夫様に仇敵(あだかたき)

相模の国と聞く時は

吹き来る風も恐ろしや

只、懐かしき夫の国

夫の常陸を名乗ろうか

相模の国を名乗ろうか

一夜添うても夫は夫

さあらば、常陸を名乗ろう』

「そも自らは、常陸の者でござります」

「何、常陸の者とや

常陸は、萩の名国(めいこく)

直ぐにその萩を象りて

常陸の小萩と付けん

汝を我が家に買い取る事

別儀にあらず

明日より、髪取り上げて

化粧化粧(けわいけしょう)

色良き衣服、着替え

七つ下がりの頃よりも

表に立ち出で

上り下りの旅の者

『お泊まりならば、泊まらんせ』

と、一夜流れを立つべきぞ

一夜を二夜、二夜を三夜と重ねつつ

流れの道を立つべきぞ、常陸の小萩」

と、ありければ

「はっ」とばかりに姫君は

『さては、流れに買われしか

ここにて流れを立てるなら

冥途にまします夫上の

さぞ自らを恨むらん

お主を良きに偽りて

流れの道を逃れん』と

両手を突き

「申し上げますお主様

そも私は、かく見目美しく

生まれ付いては候えども

まだ、幼少のその時に

身に悪しき病あり

母親これを悲しみて

紀州の国、名草の郡

加太淡島への願掛けに

(※和歌山市:加太淡島神社:女性病祈願)

『この子が成長いたすとも

一生がそのうちに二人と夫(おっと)を持たせまじ』と

深くも大願、懸けまして

病気は本復仕る

それを思えば、お主の仰せに任まして

流れをたつるものならば

又も病は、ぼうちゃく(?冒着)し

却って、お主の為ならず

『あれ見よ、萬屋の召し抱え

常陸の小萩

悪しき病の候』

と世間の人の申すなら

お主の名までも出でまする

如何様なる奉公にても仕ります

流れの道は、お許しなされて下さりませ

 

第20段 萬屋段 下

第20段

萬屋段 下 

よろづ屋の段  

 

長右衛門

「こいつ、義理ある夫に別れ

貞女を立てると覚えたり

流れの道を立てぬ者

我が家に置いて

詮も無し

汝、これより、鞍替えの申し付ける

先ず売りやる島は、三つの島

佐渡へ売るか

蝦夷へ売るか

常磐の国へ売るべきか

先ず、佐渡ヶ島と申するは

汝ら如きを買い取りて

若き内は嫌でも応でも

寝屋の伽(とぎ)

年寄り果つる時は

金(かね)の鶴嘴(つる)を掘らすとや

常磐の国と申するは

常に五穀の実り無く

食なすものは、蛇、蜂、百足を食となす

まった、蝦夷と申するは

汝等如きを買い取りて

身はずたずたに切り裂いて

沖で漁師が鮫を釣る餌にいたすぞよ

佐渡へ売るか

常磐の国

蝦夷が島へ売るべきか

我が家で流れをたてるのか

四つにひとつの返答は

何と」とありければ

姫君、少しも驚かず

「この身は佐渡へ売られつつ

金(かね)の鶴嘴を掘りますも

常磐とやらんへ売られつつ

食なすものなく

この身は飢(かつ)えて死にますも

蝦夷へ売られまして

身をずたずたに切り裂かれ

鮫釣る餌になりますも

定まる前世の業因

お主様の為でござります

何処(いづく)へなりとも売って

値が増すならば

何処なりとも、お売りなされて下さりませ」

萬屋、ほっと持て余し

「こいつ、よっぽど旅ずれのした奴

なかなか甘い酢で食えぬ奴

買い取ったが、不請(ふしょう)流れの道を立てぬ奴

過怠(かたい)(※罰)の下職を申し付ける

先ず、数ある下職と申するは

登る雑駄(ぞうだ)が五十疋

下る三度も五十疋

(※三度飛脚:月に三回の通信)百疋の馬の飼い葉を致すべし

又、百人の馬子に膳立て給仕致すべし

七釜の大釜を藁火をもって

燻さぬように、消えぬよう

いちいち燃して、回るべし

その湯も沸いてあるならば

百疋の馬の裾湯(※馬のお尻などを湯で洗ってやること)を仕れ

二階と下の掃き掃除

百人の女郎の鬢水(びんみず)、化粧水、汲替えて

その片手間に

七百目(※匁もんめ)の麻苧(あさお)(※麻の糸)を績(う)んで出だすべし

その役、仕舞ってあるならば

我々が茶の水は

これより十八丁彼方(あなた)なる

清水を三荷(さんが)汲むが役

右の下職、もしも出来ざるものならば

流れを立てよ

きっと申し付けたる」

と、はったと怒って長右衛門

奥を指してぞ入りにける

後に残りし照手姫

「さても、邪見のお主様

流れを立てぬ過怠とて

さまでの下職が自らに

どうまあ、一人で勤まろう

さは言い、下職ができざれば

流れの道に落とすとや

思えば思えば、情けなや

如何はせん」

と、姫君は涙に暮れて居たりしが

「はあ、それそれ、日頃念ずる

日光山清滝大悲観世音、深くも念じ

下職の勤めんものなる」

と、塵を結んで、身を清め

 (※塵手水を使う)

只一心に手を合わせ

「南無、清滝大悲観音

掛かる難儀に候なり

哀れ、大悲観音の誓いをもって

自らに、下職を助けさせ給われ」と深くも念じ

「さあらば、下職に掛からん」

と、其の身は下にぞ降りにける