第六段 横山対面段

第六段
横山対面段
横山対面の段
若太夫直伝

 

去ればにや、是は又
横山将監照元、彼の三郎を召され
「如何に三郎
聞けば、都三条高倉の大納言兼家の嫡子小栗判官政清
御門の御勘気を蒙り
常陸の国へ流罪なし
此の度、娘照手に執心なし
十人殿原とやらを引き連れ
常陸の国より、乾の殿へ押し入り聟とある
我々親子を軽るしめたる振る舞い
不届きなる奴原
早や早や、一国の勢を駆り催し
乾の殿へ押し寄せ
ひと合戦仕らん
早や疾く、用意仕れ」と
仰せに三郎
「父上様の御立腹
ご尤もに候えど
承れば小栗判官政清
鞍馬は大悲多聞天の申し子にて
自然と四相(しそう)を悟り
力の程は奥知れず
又、それに劣らぬ十人の殿原とある
家々一国の勢を駆り催し
乾の殿へ、押し寄せてあればとて
味方の勝利、思いも寄らず
本のこれが鱓(ごまめ)の歯ぎしりとやら、叶わぬ腕立て
あれ、萱藁(かやわら)の獄屋に繋ぎ留めたる鬼鹿毛
ありゃ、なんのため
斯様な時の為に、繋ぎ留めたるあの鬼鹿毛
幸い今日は、最上吉日に候えば
只今、この方より使者をもって十一人を招き
御酒宴を催し
酒の肴に事寄せて
鬼鹿毛、一曲、所望いたしてあるならば
小栗を始め十人の奴原まで
残らず皆、鬼鹿毛が秣になるは治定
この義は如何に、父上様」
将監、聞いて
「でかした三郎
よっき所へ心が付いた
然らば、使者を送らん」と
譜代の家臣、鬼王鬼次(おにつぐ)兄弟の弟鬼次を召され
「これ、鬼次
其の方は、乾の殿へ参り
『承れば、小栗判官政清殿
娘照手に御執心あって
遙々常陸の国より乾の殿へ押し入り聟と承る
良き聟取って、将監照元、この上もなき仕合わせ
今日(こんにち)は最上吉日に候えば
聟と舅の見参
粗酒一献参らせん』と
主従十一人を同道して参れ」
「はは、畏まって候」
と、横山殿を立ち出でて、乾の殿へと急がるる
程無く、乾になりぬれば
兵庫の局が案内で、御前へ通り
右の口上、述べければ
判官、斜のめに喜んで
「しからば、直ぐに参上いたさん」
と、俄に御用意遊ばされ
十人殿原召し連れて
彼の鬼次が案内にて
乾の殿を立ち出でて
横山殿へ急がるる
早や、間近くもなりぬれば
鬼次、先へ駆け抜けて、門戸を開かせ
「早や、御(おん)出で」
と呼ばわれば
御殿の方より兄鬼王は
玄関先へ出向かい、先立ての御案内
斯くて広間になりぬれば
主従、座に着き給いける
上﨟達はてんでんに
お茶、煙草盆、持ち来たる
程無く一間より、横山将監照元は
三郎輝次召し連れて
只、静々と立ち出でて
既に、挨拶事、終わり
早や、御酒宴のはじまりし
巡れや巡れ小車の
間(あい)の押さえの相生(あいおい)の
又は似合いのお手元と
種々の肴を会釈なし
巡り巡りて盃は
横山、前へ、来たりける
将監照元、なみなみ受けて下に置き
「如何にとよ判官殿
承れば、そこもとは
至って馬の達人とある
我々親子も元より、馬は好きでござる
何と、酒の肴に馬一曲、乗って見せては下さるまいか」
判官聞いて、
『酒の肴に馬一曲とは、合点の行かぬ事』とは思えども
元より得手(えて)の事なれば
「未だ、未熟に候えど
御所望とあれば、辞退は無礼
一曲乗って、お目にかけん」

 

第七段 厩入段

第七段
厩入段
馬屋入りの段
若太夫直伝

 

去る程に小栗殿
「殿原来たれ」
と言うままに、横山殿を立ち出でて
厩(むまや)指して急がるる
斯くて、厩になりぬれば
四十二間の建て厩
連銭葦毛(れんせんあしげ)、雲雀毛(ひばりげ)、栃毛(とちげ)、黒の駒、いずれも劣らぬその小馬
毛色を揃えて張られしは
横山親子の人々は
実(げ)に馬好きかと知られける久戸(くど)の小太郎直家は
別当左近に打ち向かい
「如何にとよ、別当殿
今日、我が君様の召し料は、何れの駒にて候」
と、言わせもせず、別当左近
はっと両手を付き
「今日のお客様はの召し料は
これなる厩にて候らわず
これより八丁奥
萱原(かやわら)の獄屋に繋ぎ留めたるは
さ何時頃、富士の裾野
愛鷹山(あしたかやま)麓(ふもと)
箱根ヶ崎荒柴村より狩り出したる
麒麟鳳毛(きりんほうげ)と申す逸物なれども
心逞しき故、誰言うともなく
名を鬼鹿毛と申し
主人横山将監の申し付け
これ即ち、お客様の召し料にて候」
と申し上げれば、判官聞いて
「世にも珍しき鬼鹿毛とやら
一曲乗らん
その萱原の獄屋へ案内仕れ」
「はは、畏まって候
然らば是へ、御(おん)出で」と
十一人の先に立ち
横山厩を立ち出でて
鬼鹿毛の獄屋へ御案内
茨、萱原、踏み分けて
急がせ給えば今は早や
獄屋も間近になりけるが
弓手の草叢見てあれば
去年捨てたる髑髏(しゃれこうべ)
馬手なる草叢見てあれば
今年捨てたる髑髏
生々しき死骨白骨、骨(こつ)の山
算を乱せし如くなり
池の庄司は驚いて
袴の股立ち高かからげ
判官殿に打ち向かい
「ああれ、ご覧あそばせ、我が君様
弓手も馬手も、死骨白骨、骨の山
算を乱せしこの有様
承れば、横山将監照元は
我が手に合わざる武士(もののふ)は
謀って秣に飼うと承る
ご油断あるな、我が君様」
判官、聞いて
「こは、仰々しき、庄司利門
横山将監、智謀を持って
大千世界を経廻(へめぐ)る大蛇を絡め取り
鉄(くろがね)の鎖をもって繋ぎ留めておけばとて
馬とさえだに名付けていたすなら
一曲乗りて、横山親子(しんし)の目を驚かせん
何、恐るる馬の候わん
別当、案内仕れ、殿原来たれ」
と小栗殿、とある萱野を打ち連れて
獄屋を指して急がるる
程無く、獄屋になりぬるが
回りを見れば、巾三間の空堀に
前には丸木一本橋を
投げ渡したる有様は
もしもや、鬼鹿毛荒れ出だし
獄屋を破って出るなら
この橋、引かんず手立てなり
難無く主従、一本橋を打ち渡り
鬼鹿毛が獄屋の体を見てあれば
すわ仰々しき獄屋なり
山出しにて喩えなば
百人にても容易く動かぬ楠を
山から里へ切り出だし
枝を払いて切り組みし
大地へ八本塗り込んだか
四方に間柱、隙間無く
蜘蛛手格子をしっかと組ませ
正面には三尺四方の切戸に
生血の垂れたる有様は
人間秣を与うる所と覚えたり
獄屋の内を見てあれば
南蛮鉄にて鍛えたる
鎖をもって鬼鹿毛を
八方八筋にしっかとこそは繋がれし
其の時、鬼鹿毛、別当左近を見るよりも
人間秣を与えることよと心得て
耳そばだてて、前掻きし
ひんと嘶くその声は
三里も崩るるばかりなり
十人殿原、驚いて
袴の股立ち高からげ
刀の柄に手を掛けて
獄屋の元に詰め寄せて
「如何に鬼鹿毛
我が君様と申するは
今日、おのれに鞍置く役に当たらせ給い、一曲攻める
おのれ、常の秣と心得て
我が君様に、そっとも(※少しでも)敵とうものならば
我が五人にては五つ刀
十人にては十の切っ先揃え
おのれが平首、打ち落とし
返す血刀、引っ提げて
横山殿へ乱れ入り
おのれが主君と頼みたる
横山親子(しんし)を討ち取らん
もし運命の尽きるなら
我が君様へは我々が
御生害を勧めまし
我々十人殿原も
供に生害仕り
死して冥途へ行く時は
死出の山路も曇り無く
三途の川の深きをも
主従三世で渡るのに
何の臆する事のある
我、口取らん」
「俺、取らん、ささ、我が君様
御馬(おんま)召せや」
と、ありければ、判官聞いて
「是はしたり、殿原達
それは生ある人間に向かっての健気業(けなげわざ)
いわんや彼は畜生なり
斯様な名馬を乗る時は
施妙を含めて乗るとある
いで、某が、施妙を含めん
殿原是へ」
と、脇に退け、御身は只御一人
格子の元に立ち寄って



第八段 施妙段

第八段
施妙段
施妙の段
若太夫直伝

 

去る程に、是は又
「如何に聞くかよ、鬼鹿毛よ
世にある牛馬と申するは
寺門前に繋がれて
常に諸経を耳に触れ
心に仏名(ぶつみょう)唱えねど
己(おのれ)と仏果(ぶっか)を得るとかや
去るに依って、牛は見聞、大日如来
馬は、馬頭の観世音
虎を薬師と祭る事、語って聞かさん
そもそも天竺にては
大聖(だいしょう)の釈迦牟尼如来
未だ、悉達多太子(しゅったたいし)で御座の時
仏法修行のその為に
数なるお経、背中(せな)に負い
王位を逃れ遙々と
檀特山(だんどくせん)へ登らるる
檀特山の途次(みちすがら)
千里が野辺は竹の林に差し掛かる
この国、余国と事変わり
寒風激しき所にて
去年降ったるその雪の
まだ溶け遣らぬに、乙の雪(※新しい雪)
雪、高山と降り積もる
竹の林に棲む虎は
得物に飢(かつ)えていたりしが
悉達多太子を見るよりも
よっき得物と心得て
巌(いわお)で爪を研ぎならし
大の眼を怒らして
実に紅の舌を巻き
只一口に服(ぶく)さんと
太子めがけ、跳んで来る
太子は少しも驚かず
「汝に取らるるこの命
露塵(つゆちり)程も厭わねど
父母より伝わる御経(おんきょう)を一巻読誦なす間
しばしの猶予仕れ」
と、背中に負いたる御経は
しかも法華経五の巻きは
提婆品を取り出だし、高らかに転読あり
「一者不得(いっしゃふかとく)
作梵天王(さもんでん)
二者帝釈(にしゃたいしゃく)
三者魔王(さんじゃまおう)
四者転輪聖王(よんしゃてんりんしょうおう)
五者仏身(ごしゃぶっしん)
云何女身(うんがにょしん)
速得成仏(そくどくじょうぶつ)
如是畜生(にょぜちくしょう)
発菩提心(ほつぼだいしん)
虎も成仏仕れ」
と、御経畳んで、
虎の頭をはっしと打てば
あら不思議の次第なり
上顎、下顎、八つに裂けて
八葉の葉付く、蓮華となりぬれば
忽ち虎は、薬師如来と身を現ず
去るに依って昔が今に至るまで
唐土(とうど)日本と天竺にて
月の八日に十二日
虎を薬師と祭る事
この時よりもはじまりし
汝も相模の鬼鹿毛ぞ
我も都の小栗なり
一鞍置かするものならば
よも乗り捨てに致すまじ
富士の裾野は愛鷹山の麓へは
八間四面の堂を建て
汝が姿、名ある仏師に刻ませて
名僧をもって開眼
鬼鹿毛馬頭観音と祀るべし
みんごと、ひと鞍置かするか
鬼鹿毛、なんと」
とありければ
元より名馬のことなれば
小栗の双眼、打ち眺め
目には涙を浮かめられ
乗せる人ぞと心得て
前膝折って、首うなだれる有り様は
物こそ言わねど、鬼鹿毛は
乗しょうぞ体(てい)に見えにける
判官、つくづくご覧じて
「あれ、見られよ殿原達
今、某が施妙を含むれば
両眼に涙を浮かめ
前膝折って、首うなだれたる有様は
物こそ言わねど、乗しょうぞ体
是を思えば
人間、物を知らざりし
心易し、この上は
我が力量の程、見せんず」と
大いなる海老錠、ふっつと捻切り
閂(かんぬき)抜いて投げ捨てて
その身は獄屋の内に入り
南蛮鉄にて鍛えたる
八筋(やすじ)の鎖、ひとつ所へ寄せられて
『鞍馬が大悲多聞天
木の宮八幡大菩薩
神力添えさえたび給え』
と心の内にて念じられ
ふっつと捻れば、怖ろしや
鉄金(てつがね)強しと揺れど
風に木の葉の散る如く
さらり、りんずと切れにける

 

第九段 馬誉段 上

第9段

馬誉段

馬ほめの段 上

若太夫直伝

 

去ればにや是は又

小栗判官政清は

彼の鬼鹿毛を、獄屋の内より引き出して

「誰かある、早や疾く

鬼鹿毛が馬具をこれへ」

と、ありければ、別当左近

がながな震え、草叢に両手を付き

「愛鷹山の麓より狩り出だし

今日まで、鞍置く者の候らわねば

定まる馬具は、御座無き」

と、申し上げれば、判官聞いて

「定まる馬具が無いとあれば

是非に及ばぬ

これ幸いの手綱」

というままに、切れたる鎖

二筋取って、捻合わせ

鬼鹿毛、がんじと食ませ

既に乗らんとなされしが

「いや待て暫し、我が心

それ武士(もののふ)の習いにて

良き品求めしその時は

何に限らずひと誉め誉めると伝え聞く

畜生なれど、鬼鹿毛程の名馬をば

無慙と乗るは法ならず

ひと誉め誉めて乗らんず」と

駒口引っ立て、誉められける

「天晴れ、御馬(おんま)の吉相や

胸も照りて張りもあり

左右(そう)の面顔(おもかお)長うして

頬、かい(峡)荒れて(※痩せて)逞しく

上顎吊りて下顎垂れて

四十二巻きの歯茎を揃え

実に紅(くれない)の舌を巻き

ものによくよく喩えなば

龍(たつ)の頭の如くなり

鼻吹き嵐の様態は

年々経ったる法螺貝を

二つ取って押し合わせ

物の上手が手を止めて

中よりは牡丹の花が咲き着き乱るる如くなり

さて、両眼の様態は

え(回)に鬱金(ウコン)に素銅(すあかがね)にて鍍金(メッキ)をまぜ

金と金とで縁を取る

物に良く良く例えなば

千畳座敷の切りの間の

明かり障子を一度にさっと押し開き

朝日に照らし、夕陽に輝く如くなり

耳は小さく、分け入って

物に良く良く例えなば

勿体無くも法華経の八の巻を一巻取りて、斜(はす)に霧

左右の耳に造り付けたる如くなり

さてまた、(頷)(※顎)あご振り毛、しめ白髪の様態は

実に、山羊歯(やましだ)か、やますけ(?野草)か

峰吹く風と、谷吹く嵐に誘われて

彼方へはとうとうとまた、此方へはさわさわと風に揉まるる如くなり

 

第九段 馬誉段 下

第9段

馬誉段

馬ほめの段 下

若太夫直伝

 

さて、胴骨の様態は

物に良く良く喩えなば

あれ、強弓(つよゆみ)の達人が

丸木の弓を鍛えられ

空飛ぶ鳥を憎みつつ

一反り、反らせし如くなり

腹は小さく、丸うして

七つ小女郎の弄び

てんてん手鞠、縢(かん)がりつけたる如くなり

扨又、毛並みの様態は

登り竜には下り龍

雲を誘い、中にて慈光(じこう)の玉を争う如くなり

さて、前足の様態は

年(ねん)を経たる大原竹(おおはらたけ)(※洛北の竹)を根扱(ねこ)ぎにし

碁盤の上に作り付けたる如くなり

後足、腿(もも)の様態は

唐の琵琶を二面取って

物の上手が手を留めて

造り付けたる如くなり

爪、裏返して見てあれば

爪は丸うして、筒(つつ)高く

物によくよく喩えなば

大きな声では言われぬが

あれ、皆様が好物で

大家様のお嫌いなる

壺皿、伏せたる如くなる(※博打)

尾は山中の大滝が

彼方の峰よりこの沢へ

一度にどっと落とすのは

白糸流すが如くなり

ここにひとつの誉め所

誉めればお客に無礼なり

さは去りながら

誉めずにおかば、あったら名馬、鬼鹿毛が

女馬(めうま)か男馬(おんうま)か分かるまい

さあらば、御免被りて

一つ、褒めん」

と、小栗殿

尾筒に回り、尻尾を引っ立て

鼻をつまんで誉められける

「御居処(おいど)(※尻)の、あの様態を、物に良く良く喩えなば

猿島(※下総)牛蒡(ごぼう)の切り口なり

内股、つくづく見てあれば

ここに、五つの不思議有り

金(きん)と申せども遣われず

玉とは言えど、光無し

日陰にあれど、色黒く

ぶらぶらすれども落ちもせず

袋と言うて、縫い目はあれど、ほころび切れる例しなし

物に良く良く喩えなば

お茶の好きなるご隠居様

薩摩土瓶の一番を

ふらりと下げたる如くなり

さて、中足の様態は

物に良く良く喩えなば

荒れ山寺の鐘楼堂の鐘突棒が

生木にて突く度毎に

先の方がまくれつつ

あまり突き様が非道い(ひどい)かして

前の二本の綱が切れ

後の二本のその綱で

ぶら下がりし如くなり

肉合い、節合い、良目(よめ)の節

胴のに骨(※肋骨)になれ合うて

天晴れ、良っき御馬ぞ」

と、上から下へ、撫で降ろし

しめ髪掴んで小栗殿

御身、軽ろげにゆらりと乗り

第十段 地騎段

第10段

地騎段

地乗りの段 

若太夫直伝

 

去ればにや是は又

小栗判官政清は

先ず、鬼鹿毛が足定め

前なる丸木一本橋へ乗り上げて

「しっ」と追うては「どう」と留め

猿猴の梢伝えと言うままに(※猿回しの様に)

難無く萱野へ乗り出だす

彼の鬼鹿毛が、勇み嘶(いなな)く勢いは

物に良く良く喩えなば

荒鷹が、鳥屋(とや)を破り

雉を追うにぞ事似たり

広き萱野を小栗殿

ぐるりぐるりと、輪乗りをす

鬼鹿毛程なる荒馬(むま)も

小栗判官政清に胴のに骨を、乗り締められ

白泡吹いていたる有様は

凄まじかりける次第なり

その時、十人殿原は

「我が君様と申するは

都にありしその時は

御菩提の大蛇を乗り取って

その後、常陸へ流罪なし

あれ、横山の手入らずの照手の姫を乗り取って

今又、ここでこのような

悪馬な鬼鹿毛、乗り取りし

乗せても乗せたる鬼鹿毛

乗りも乗ったる我が君様

天晴れ乗って、名人め、やんや」

どっとぞ誉めにける

風の最寄りか、その声が

横山殿へ聞こえける

将監照元、立ち出でて

「あれ、三郎

萱野の方にて、人声がする

大方、小栗めが

鬼鹿毛が秣になり

十人殿原めらが嘆きの声と覚えたり

今に、十人の殿原めらも

鬼鹿毛が秣になるは治定

去りながら、聟舅(むこしゅうと)の事なれば

今から、萱野へ行て

せめて、捨て念仏など唱えてくりょう

幸い、花見がてらに参らん

早や疾く用意仕れ」

「心得まして候」

と、毛氈(もうせん)花茣蓙(はなござ)、茶、弁当、水筒(すいづつ)なぞを持たせられ

横山殿を立ち出でて

萱野を指して急がるる

程無く萱野になりぬれば

毛氈、花茣蓙、敷き並べ

茶弁当なぞ取り出だし

既に酒宴の始まりし

掛かる折から小栗殿

彼の鬼鹿毛に打ち乗って

十人殿原弓手と馬手に引き添うて

別当左近が後に付き

横山指して乗り来たる

三郎、それと見るよりも

「申し、父上様

酒盛りどころじゃござりませぬ

あれ、小栗めが

鬼鹿毛に乗って参ります

こりゃこうしては居られませぬ」

と、騒げば、将監

「馬鹿を言うな三郎

鬼鹿毛が秣になりたる判官政清

何しに鬼鹿毛に乗って来よう

大方、それは

鬼鹿毛が秣になり

非業の最期を遂げ無念残念と思う

大方、幽霊でがなあろう

何しに、小栗が乗って来よう

馬鹿を言うな三郎」

と、又、なみなみと受けらるる

其の時、小栗判官は

程間近くも乗りきたる

下部は皆々、騒ぎ立ち

「そりゃこそ誠の小栗なり

やれ、怖ろしや、鬼鹿毛ぞ

食い殺されてなるものか

命あっての物種」

と、我も我もと下部共

横山殿へ逃げて行く

三郎、それと見るよりも

「こは、叶わなじ」

と、立ち上がり

「父上、お先へ逃げます」

と、毛氈一枚引き立てて

頭へくるりと、引き被り

只一散にぞ逃げて行く

後にも残る横山は

元、老体の事なれば

逃げんとすれども身も重く

茶弁当に蹴躓いて

お芋の煮っ転ばしで滑るやら

命からがらようようと

己が館へ逃げて行く

ようよう、館になりぬれば

「如何にとよ三郎

此上は、曲馬、所望なし

出来ざる時は、恥辱を与えてくれん

曲馬の用意つかまつれ」

「心得まして候」と

曲馬の用意仕り

今や遅しと待ち居ける

待つ間程無く小栗殿

桜の馬場へ乗り来たる

三郎、それと見るよりも

碁盤を一面、番場の半ばへ直されて

「この上所望」

と、ありければ

「心得まして候」

と、只一散に乗り来たり

碁盤の上に四足(しそく)を留めて