十代目薩摩若太夫直伝 小栗判官一代記 照手車引きの段 

 

さても照手の姫君は、

夫の菩提のそのために、

餓鬼病み車を曳かばやと、

父母の菩提と偽りて、

主に五日の暇もらい、

松の油煙で隈え取り。

みどりの髪を振り乱し、

御身に烏帽子狩り衣や。

胸に真紅の結びさげ、

笹の小枝にしめきりさげて、振りかたげ。

その身の部屋を立ち出でて餓鬼病み車のそばにより、

女綱、男綱を取り分けて、

引けや、引かっしゃれ道者達、

そもこの車と申するは、

引き引けば千僧供養。二引き引けば萬僧供養。

供養のために自らも、引くや仏の御手の綱。

小萩(※照手の仮名)が音頭でひきましょうと、

中の引き綱手にふれる、

物の不思議は、この車。

小法師達の曳くときは、

両輪が大地に、めり込んで、

押せども引けども動かずし、

照手の音頭で曳くときは、

妹背の縁に引かされて、

車の轍が浮き上がり。

るりくるりと回り出す。

思いのままに轟けば、

やれ嬉や嬉やと、

涙は垂井の宿を出で

身の本復を松原や、

上下五日の旅の空。

心はいとど関ヶ原、

大関村を後になし、不破の関屋の板庇。

月もれとてやまばらなる。姫は古跡を打ち眺め。

「おお、その昔、大中臣の朝臣、道盛卿の御歌に、

吹き替えて月こそ漏らぬ板庇とく澄みあらせ不破の関守。」

昔に変わる今津の宿

美濃と近江の国境

姫も相模に在りし時、

乾の殿の奧の間で、

夫上様と諸共に、錦のしとね綾の床。

交わす枕の睦言も、変わるまいぞや照手姫、

なに変わろうぞ夫上と、

寝物語は早昔、せめて一夜は柏原

枕に結ぶ夢さえも、早や醒ヶ井の宿を越え。

嵐小嵐番場吹けとて袖寒く、

摺針の細道をエイサラエイと曳くほどに、

小野の細道小町が墓、

あれ鳥本の鳴く音さえ、

空に一声高宮の、愛知川わたれば千鳥立つ。

御代もめでたき武佐の宿

鏡山となりぬれば。姫はかしこに立ち止まり。

「その昔大友の黒主の御和歌に、

山いざ立ち寄りて見てゆかん年経ぬる身は老いやしぬると」

姿はさのみ映らねど、鏡山とは懐かしや。

雨は降らねど守山の、宿をも越えて今は早や、

しばし疲れを休むらや。

 

この餓鬼病みの地車に、

露とてさらに浮かばねど、

草津の宿になりぬれば、

 

赤前垂れの乳母が茶屋、

左手に矢橋の別れ道、

頃しも五月の半ばにて、

山田、沢田を見渡せば、

さも美しき早乙女が、

紺のはばき(脛巾)に玉襷、

早苗おっとり打ち連れて

田歌をこそは歌うたり。

「植え、早乙女、田を植えて、笠をこう(買う)てたもるなら

 

 なんせ(何畝)なりとも植えまんしょう」

植え、早乙女田を植えて。

 

勧農の鳥や時鳥、山雀こがら四十雀、

あの鳥谷をさ渡らば、五月農業盛んなり

小草若草踏み分けて、

なおも想い(※重い)の瀬田の橋

シトトンドロンっと引き上げる。

 

橋の半ばに車を留め、

姫は欄干に身をもたれ、

四方の景色を打ち眺め

「ても面白き近江八景。見ぬ唐土はいざ知らず、

聞きしに勝るあの景色。遙かに見ゆるはその昔、

田原藤太秀郷殿。

龍神龍主の願いをとめ。

乙矢をもって、射止め給いし百足山。」

こなたに高きが石山寺、

秋の月とて冴ゆるとも、

姫の心はさえやらぬ、

堅田に落つる雁音にも、

 

ただ忘れぬ夫のこと、

なろうことなら自らも、

冥土にまします夫上に、

逢いたい見たいと思えども、

粟津(※逢わず)に帰るあの舟は、

あれが矢橋の帰帆とや、

比良高根あらねども、

心は、暮雪と積もるらん。

あれ三井寺の鐘の音や、

いとど心は唐崎の、

 

姫は浮き世の一つ松(※待つ)。

思えば儚き我が身ぞや。

志賀の浦に舟留めて、

あの山みさいなこの山を、

櫨櫂の音に驚いて、

沖へかもめが、はあっと立ち。

あれ鳥さえも、あの様に、

つがい離れぬ睦ましく。

それになんぞや自らは、

夫に遅れてその後は、

ねぐら定めぬ寡婦鳥。

思えば、思えば、悲しやと、

涙ながらに引く車。

粟津松本膳所の城。

 

弓手に高きが源氏庵。

右手に登れば車坂。

すでに三日の黄昏に、

登る大津関寺

 

玉屋が門まで着きにける。